中国新聞社

被曝と人間

連載へのご感想、ご意見をお寄せください。
FAX082(236)2321 電子メール shakai@chugoku-np.co.jp

被曝と人間第6部  二人の命を奪い、周辺住民を含めて計四百三十九人が被曝(ば く)するなど、わが国の原子力利用史上最悪の事態を招いた東海村 臨界事故は、私たちに「核とのかかわりは今後どうあるべきか」と いう重い問いを突き付けた。原爆投下に代表される悲惨な「核の世 紀」が終わろうとする今、「ノーモア核被害」を訴え続けなければ ならない、と一連の取材で感じた。広島と長崎の原点とも言えるそ の立場を踏まえて、臨界事故から何を学ぶべきか、二十一世紀に向 けて提言する。
(宮崎智三、城戸収)

[5]原子力の将来 国民論議を(7月7日)
[4]心のケア 専門家育成急げ(7月6日)
[3]緊急治療ネット 広島が軸に(7月4日)
[2]安全最優先の意識徹底を(7月2日)
[1]放射線の知識 国民財産に(7月1日)


被曝と人間第5部  放射線に関する人類の知識は、半世紀以上に及ぶ広島、長崎の原爆被爆者についての研究などで着実に積み上げられてきた。それにもかかわらず、茨城県東海村で昨年九月に起きた臨界事故では、最新の医療でさえ大量被曝(ばく)者を救えないという厚い壁の存在も明らかになった。低線量被ばくの健康影響や被爆二世への遺伝的影響など、人知のなお及ばない部分も残されている。放射線の発見から百年余。私たちの知識を見詰め直すことが、核とのかかわりを考える前提となる。
(宮崎智三、城戸収)

[6]被爆試料は語る/計算線量値 実測とずれ(5月29日)
[5]遺伝的影響/未解明…調査あお続く題(5月28日)
[4]14万人のカルテ/試行錯誤の被爆者医療(5月27日)
[3]低線量/人体影響の解明急務(5月26日)
[2]医療尽くしても/密着専門医に無力感(5月25日)
[1]複合障害/空前の線量 医師苦闘(5月24日)


被曝と人間第4部  広島と長崎への原爆投下で始まった巨大な核エネルギーと人間とのかかわりは、日本では一九五〇年代半ばに大きな転機を迎えた。特に五四年は、太平洋で操業中のマグロ漁船第五福竜丸が米国の水爆実験に遭遇。広島、長崎に続く三度目の核被害は、原水爆禁止運動が全国に広がるきっかけになった。また、原子力開発が被爆国日本で本格的に始まった年でもあった。原子力の平和利用と核兵器による被災という核をめぐる二つの流れが交錯したこの時期をたどり、現在まで続く核と人間とのかかわりの源流を探る。
(宮崎智三、城戸収)

[6]原爆医療法/対象者拡大も論議(5月1日)
[5]原子力三原則/軍事転用に歯止め(4月30日)
[4]初の原子力予算/政治主導で推進へ(4月29日)
[3]映画「ゴジラ」/放射能の怖さ告発(4月27日)
[2]ビキニ被災/急性症を本格治療(4月26日)
[1]軍事転用への不安/原子力研究に賛否(4月25日)


被曝と人間第3部  わが国の原子力施設での被曝(ばく)による犠牲者は、東海村臨界事故の大内久さん=当時(35)=だけではない。事故ではないが、原子力発電所で作業中に浴びた放射線により白血病になったとして四人が労災認定され、うち二人は死亡している。その一人、中部電力浜岡原子力発電所(静岡県浜岡町)で作業していた嶋橋伸之さん の死を追った。
(城戸収)

特集原子力施設作業員の被曝(3月22日)
[5]高いハードル/がん、救済基準なし(3月27日)
[4]2つの基準/法定線量以下で労災(3月25日)
[3]手帳は語る/線量 定検時に上昇(3月24日)
[2]原子炉の下で/身かがめ点検 調整(3月23日)
[1]白血病/闘病2年 力尽きる(3月22日)


被曝と人間  茨城県東海村の核燃料加工会社ジェー・シー・オー(JCO)で昨年九月三十日に起きた臨界事故は、四百三十九人(科学技術庁まとめ)もの被曝(ばく)者を生み、周辺住民まで巻き込む原子力災害が日本でも発生することを見せつけた。放射線障害のため亡くなった同社社員大内久さん=当時(35)=の被ばく線量は、広島原爆の爆心地百メートル以内に匹敵する。放射線の脅威を突き付けたこの臨界事故の土壌は、どのように形づくられたのか。さまざまな立場から原子力にかかわってきた人たちへのインタビューを通して検証する。
(宮崎智三、城戸収)

[9]インタビューを終えて(2月19日)
[8]映画監督 新藤 兼人氏(2月18日)
[7]日本原子力産業会議副会長 森 一久氏(2月17日)
[6]原子力安全委員会委員長 佐藤 一男氏(2月16日)
[5]科学技術総括政務次官 斉藤 鉄夫氏(2月15日)
[4]立命館大学教授 安斎 育郎氏(2月13日)
[3]内閣安全保障室長 佐々 淳行氏(2月12日)
[2]技術評論家 桜井 淳氏(2月11日)
[1]事故調査委員会委員長代理 東 邦夫氏(2月10日)


被曝と人間  広島・長崎への原爆投下、米核実験によるビキニ被災、そして茨城県東海村の臨界事故。「核の時代」だった一九〇〇年代最後の年に、東海村の核燃料加工会社ジェー・シー・オー(JCO)で、日本の原子力史上最悪の事故が起きた。ウラン溶液を扱う作業中に大量の放射線を浴び、被曝(ばく)した社員一人が死亡。原子力の「安全神話」は崩れ去った。新たな世紀への節目を迎え、私たちは核にどう向き合うべきか。半世紀余りにわたり、核兵器廃絶を世界に訴えてきた被爆地の役割に変化はあるのか。それを探るため、まず「原子力の村」と呼ばれる東海村を訪れた。
(宮崎智三、城戸収)
特集世界に広がる核汚染(1月1日)
[8]村長の問い掛け(1月11日)
[7]村民の意識(1月10日)
[6]いえぬ傷跡(1月9日)
[5]痕跡を求めて(1月8日)
[4]医療の蓄積(1月6日)
[3]不安の連鎖(1月5日)
[2]揺れる線量(1月4日)
[1]原子力研究所での足跡 自問(1月3日)


ホームページへ地域ニュース社説へ天風録へカープ情報へサンフレッチェ情報へスポーツトピックスへ