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二人の命を奪い、周辺住民を含めて計四百三十九人が被曝(ば
く)するなど、わが国の原子力利用史上最悪の事態を招いた東海村
臨界事故は、私たちに「核とのかかわりは今後どうあるべきか」と
いう重い問いを突き付けた。原爆投下に代表される悲惨な「核の世
紀」が終わろうとする今、「ノーモア核被害」を訴え続けなければ
ならない、と一連の取材で感じた。広島と長崎の原点とも言えるそ
の立場を踏まえて、臨界事故から何を学ぶべきか、二十一世紀に向
けて提言する。 (宮崎智三、城戸収)
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放射線に関する人類の知識は、半世紀以上に及ぶ広島、長崎の原爆被爆者についての研究などで着実に積み上げられてきた。それにもかかわらず、茨城県東海村で昨年九月に起きた臨界事故では、最新の医療でさえ大量被曝(ばく)者を救えないという厚い壁の存在も明らかになった。低線量被ばくの健康影響や被爆二世への遺伝的影響など、人知のなお及ばない部分も残されている。放射線の発見から百年余。私たちの知識を見詰め直すことが、核とのかかわりを考える前提となる。 (宮崎智三、城戸収)
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広島と長崎への原爆投下で始まった巨大な核エネルギーと人間とのかかわりは、日本では一九五〇年代半ばに大きな転機を迎えた。特に五四年は、太平洋で操業中のマグロ漁船第五福竜丸が米国の水爆実験に遭遇。広島、長崎に続く三度目の核被害は、原水爆禁止運動が全国に広がるきっかけになった。また、原子力開発が被爆国日本で本格的に始まった年でもあった。原子力の平和利用と核兵器による被災という核をめぐる二つの流れが交錯したこの時期をたどり、現在まで続く核と人間とのかかわりの源流を探る。 (宮崎智三、城戸収)
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わが国の原子力施設での被曝(ばく)による犠牲者は、東海村臨界事故の大内久さん=当時(35)=だけではない。事故ではないが、原子力発電所で作業中に浴びた放射線により白血病になったとして四人が労災認定され、うち二人は死亡している。その一人、中部電力浜岡原子力発電所(静岡県浜岡町)で作業していた嶋橋伸之さん
の死を追った。 (城戸収)
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茨城県東海村の核燃料加工会社ジェー・シー・オー(JCO)で昨年九月三十日に起きた臨界事故は、四百三十九人(科学技術庁まとめ)もの被曝(ばく)者を生み、周辺住民まで巻き込む原子力災害が日本でも発生することを見せつけた。放射線障害のため亡くなった同社社員大内久さん=当時(35)=の被ばく線量は、広島原爆の爆心地百メートル以内に匹敵する。放射線の脅威を突き付けたこの臨界事故の土壌は、どのように形づくられたのか。さまざまな立場から原子力にかかわってきた人たちへのインタビューを通して検証する。 (宮崎智三、城戸収)
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広島・長崎への原爆投下、米核実験によるビキニ被災、そして茨城県東海村の臨界事故。「核の時代」だった一九〇〇年代最後の年に、東海村の核燃料加工会社ジェー・シー・オー(JCO)で、日本の原子力史上最悪の事故が起きた。ウラン溶液を扱う作業中に大量の放射線を浴び、被曝(ばく)した社員一人が死亡。原子力の「安全神話」は崩れ去った。新たな世紀への節目を迎え、私たちは核にどう向き合うべきか。半世紀余りにわたり、核兵器廃絶を世界に訴えてきた被爆地の役割に変化はあるのか。それを探るため、まず「原子力の村」と呼ばれる東海村を訪れた。 (宮崎智三、城戸収)
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