2000・3・24
線量 定検時に上昇 ■通院中も「従事可能」 中部電力浜岡原子力発電所(静岡県浜岡町)で作業していた嶋橋伸之さん=当時(29)=が白血病で亡くなり半年たった一九九二年春。勤務先の会社にあった遺品が、両親に届けられた。机の引き出しにあった給料袋やくしなどに交じり、放射線管理(放管)手帳二冊があった。 ◆ 原子力施設での作業員の被曝(ばく)線量は、放射線従事者中央登録センター(東京都千代田区)が一元的に管理し、記録は放管手帳に記載される。手帳は、被ばくの前歴とともに健康診断、放射線防護の安全教育歴も記される。 嶋橋さんの手帳は、中部電力の発電所で「保修業務」などの元請け会社・中部プラントサービス(名古屋市)が発行、その下請けだった嶋橋さんの会社で保管されていた。 ◆
両親が知りたかった息子の被ばく線量は、すべて放管手帳にあった。嶋橋さんの死後、何度も手帳を返してくれるよう掛け合った。やっとの思いで手に入れた手帳は、至るところに赤い訂正印が押されていた。多くは被ばく線量数値の訂正で、嶋橋さんの死の翌日に行われた部分もあった。 母美智子さん(62)は、手帳を初めてめくった時の悔しさが忘れられない、という。 「通院中だったのに健康診断の結果、作業従事可とされていたり、入院中にもかかわらず職場の安全教育を受けたことになっていたり…。健康診断もそう。白血病と診断される一年半前、白血球数が一万三千八百と、異常に高い記録があった。それでも判定は『異常なし』だった」 手帳を発行した中部プラントサービスの伊藤昭彦原子力部担当部長は「訂正はやむを得ない部分があった」と、当時のいきさつを説明する。 「健康診断で作業従事可としたのは、本人に病名を悟らせないための配慮、と聞いている。線量の訂正は、手で書き込むために起きた誤記や単純ミス。今は機械で打ち込むためそういうミスはない。ご両親へ手帳の返却が遅れたのは、正確な線量を確認していたためだろう」 ◆ 美智子さんに手帳を見せてもらった慶応大の藤田祐幸助教授は、被ばく歴と浜岡原発の運転状況を比べてみた。放管手帳には、月ごとに被ばく線量が記されている。高い数値の月と、危険度が増すとされる原子炉の定期検査時期が、ぴたりと重なっていた。 ◆ 「原子炉を止め、数カ月がかりで定期検査をするが、その間だけ線量が跳ね上がっている。年間被ばく線量は、入社五年目から五ミリシーベルトを超えて増加し、八七年度の年間九・八ミリシーベルトがピークだった。手帳は、彼が技術者として熟練していった過程と、被ばく業務に携わっていたことを裏付けた」 「法令で定められた放射線作業従事者の年間被ばく限度五〇ミリシーベルトと比べれば、嶋橋さんの被ばく線量はかなり低い。だが、彼が被ばくを積み重ね、力尽きたのは事実だ」 手帳に張ってある高校卒業直後の息子の顔写真をなでながら、美智子さんはつぶやいた。 「この手帳は、本当に伸之の役に立っていたのか。体に危険かもしれない放射線の数値がいくつも間違っていた。自分の被ばく量を知っていたんでしょうか。私には、企業が労働者の被ばくを管理するためだけの手帳のように思えるんです」 |