中国新聞社

2000・1・4

揺れる線量

  乏しい実測値ネック

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住民宅を訪れ、事故当時の行動を調査する左から茨城県の保 健婦、放医研の研究者。一人ひとりの被ばく線量を推定する基礎デ ータとなる(1999年11月19日、茨城県東海村)

住民の不信感増幅

 東海村臨界事故で、放射線が一体どれほど放出されたのか、実は 三カ月余りたった今も定まっていない。原子力安全委員会が設けた 事故調査委(委員長・吉川弘之日本学術会議会長)は、昨年暮れま とめた最終報告書に「被曝(ばく)したと想定される住民」という 表現を盛り込み、近隣にいた人たちの被ばくに言及した。だが、何 人が被ばくしたのかは特定しなかった。

 「何を信じれば…」

 「ころころ数字が変わる。何を信じてよいのか…」。ジェー・シ ー・オー(JCO)の転換試験棟から約百メートルの所に住む主婦 (53)は、被ばくへの不安と国への不信をぬぐえない。

 科学技術庁は、JCO周辺の推定被ばく線量を二度公表した。最 初は十一月四日に発表した「暫定値」。十二月十一日に、大幅に下 方修正する。例えば、百メートル地点に臨界終息まで屋外にずっと いた場合、「九〇ミリシーベルト」から「五三ミリシーベルト」に四一 %も減少した。

 なぜ、こんなに―。推定にかかわった日本原子力研究所(原研) 東海研究所の田中俊一副所長は「中性子線の測定値が極めて乏しい 中、推計に用いるデータを変えた結果だ」と説明する。

 直後のデータなし

 事故が起きたのは、昨年九月三十日午前十時三十五分ごろ。転換 試験棟の沈殿槽内で、核分裂反応が翌朝まで約十九時間四十分にわ たって続き、中性子線とガンマ線が外部へ放出された。とりわけ、 中性子線が大量に飛び散ったのが特徴である。直後の二十五分間が ピークだった。ところが、現場近くでは、その時間帯の中性子線の 実測値がない。「臨界が起きるはずはない」と過信し、計測機を設 置していなかったためだ。

 「測定値が乏しい」と田中副所長が説明するのは、この事情を指 している。十一月の公表時に使った中性子線の実測値は、十時間以 上過ぎた午後八時四十五分に約百―八百メートル離れた十九カ所で 計測したデータ。中性子線の放出がピークだった時間帯の線量は、 沈殿槽に残ったウラン溶液を分析し、理論的に導いた。

 十二月の発表は、JCOから約一・七キロ離れた原研那珂研究所 (茨城県那珂町)の計測機が記録していた中性子線データを、統計 的に処理して推計に使った。

 だが、その修正値も「心もとない」とみる専門家は少なくない。 京都大原子炉実験所の今中哲二助手(原子力工学)は「実態に近付 いたが、臨界という現象全体を理論的に説明しようとする姿勢は後 退した。表面的なつじつま合わせに終始している」と批判する。

 最も大量に放出された中性子線の測定がJCO敷地境界付近で始 まったのは、約六時間の午後四時半だった。事故後、補正予算案や 新年度予算案の編成時に、各省庁がこぞって、中性子線の測定・検 知器材を追加要求したのは、この国が臨界にいかに無防備であった かを浮き彫りにした。

 基準づくりが急務

 昨年十一月十九日から二十二日にかけて、放射線医学総合研究所 (放医研、千葉市)の研究者や茨城県の保健婦が、約三百五十メー トル圏内に居住・勤務する約三百人を訪ね、事故当日いた場所、時 間、遮へい状況などを聞き取った。個々人の被ばく線量を推定し、 晩発性障害に備えた健康管理の判断材料にするためだ。

 広島、長崎の原爆被爆者の追跡調査では、発がんリスクの目安は 五〇ミリシーベルトとされる。「ただ、それ未満でも、リスクがゼロ になるのではない。統計的に検出できないほど小さくなるだけだ」 と放射線影響研究所(放影研、広島市南区)の馬淵清彦疫学部長。 JCO周辺地域の推定線量が揺れる中で、健康管理が必要な人をど う絞り込むか。線引きの基準づくりが急務の課題となっている。

《臨界事故での被ばく者数》現時点では、臨界による直接被ばく 者や臨界終息作業に従事した人など計百五十人。全身を調べるホー ルボディーカウンターや、着用していたポケット線量計、フィルム バッジで被ばく線量がそれぞれ特定されている。

 



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