2000・1・8
研究者、線量を測定
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JCO外周のコンクリート壁に残る微量のベータ線を測定
する高田助教授(右)ら原医研調査チーム(1999年11月27
日、茨城県東海村)
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「説明ない」拒絶反応も
「タカイムラって知ってるか」。旧ソ連・ベラルーシのある村へ
向かう車中。広島大原爆放射能医学研究所(原医研)の高田純助教
授(45)は、同乗のロシア人科学者に尋ねられた。カーラジオで日本
の原子力施設事故のニュースが流れた、というのだ。「タカイ?ま
さかトウカイじゃ…」
驚きと悔しさ交錯
翌朝の国際電話で、茨城県東海村のジェー・シー・オー(JC
O)で日本国内初の臨界事故が起きたことを知る。驚きと同時に、
悔しさも込み上げてきた。「広島の放射線専門家が、国内の被曝
(ばく)事故に駆け付けられないとは…」
高田助教授は、環境中の放射能や放射線を測定し、被ばく線量に
関して研究する物理学者。臨界事故があった昨年九月三十日、チェ
ルノブイリ原発事故による放射能汚染地域を調査していた。これま
でマーシャル諸島(中部太平洋)、セミパラチンスク(カザフスタ
ン)など、米ソ核実験被害地も調査に訪れた。
帰国した高田助教授は事故から三週間後、原医研調査チームを編
成し、JCO周辺の被ばく線量を推定する作業に取り掛かった。J
CO敷地の北西と南西側の外周を囲むコンクリート壁に着目。中性
子線が壁を貫通した際、壁内に生まれたわずかな放射能が放つベー
タ線の強さを測った。
実際と理論値に差
その結果、敷地外へ放出された中性子線の強さは、方角によって
差があることが分かった。事故が起きた転換試験棟を取り囲む工場
内の建物が、いくぶんか中性子線を遮ったためだ。
現場から約百メートルの距離にある住宅の被ばく線量を推定すると、科
学技術庁の推定値の約五分の一になる地点があった。科技庁が公表
したのは、遮へいを考慮に入れない「理論値」だったからだ。「住
民のだれもが知りたい被ばく線量があまりにも大まかに扱われた」
と高田助教授は残念がる。
広島・長崎の原爆の放射線が人体に与えた影響に関するデータ
は、国際的な放射線防護基準のよりどころとなっている。だが、原
爆の放射線量の評価には、いまだに解明しきれない部分がある。
原爆の放射線量の再評価が始まった一九八〇年代初め。高田助教
授の先輩で原医研の星正治教授(52)=放射線物理学=は、被爆資料
の収集のため、広島市内を自転車で駆け回った。古い住宅に飛び込
み、銅製品や陶器、レンガなどを譲り受けた。被爆の痕跡であるわ
ずかな放射線をさまざまな方法で資料から測定し、原爆が放出した
放射線量を爆心地からの距離ごとに推定する作業である。
「原爆の被爆者がどれだけ放射線を浴びたか突き止めれば、新た
な被ばく者に対しても、健康管理や治療の面で生かせるはずだ」と
星教授。放射線物理学の研究者たちが測定用の被爆資料をいまだに
探し求める中、臨界事故が起きた。
研究者たちが測定資料を求めて全国から乗り込んだ東海村では、
住民から拒否反応も出た。「調べるだけで何の説明もない。事故に
興味があるだけ」。現場近くに住む四十歳代の主婦の感想だ。
正しい情報が重要
高田助教授は、チェルノブイリの周辺住民の間で広がる旧ソ連の
研究者に対する不信感を思い起こした。国や科学者が被ばくの実態
を隠して被害が拡大した例も各地で見てきた。今回、東海村の住民
に、測定結果を戸別に郵送している。ファクスやホームページで住
民の疑問にも答える。
「正確な被ばく線量や放射線に関する情報を真っ先に住民に知ら
せることが、最も重要だ」。広島の研究者として、海外の被ばく者
と接して得た結論である。
《放射線量の再評価》米国の研究所が1965年、初めて広島・
長崎原爆の放射線量を推定する計算方式「T65D」を定めた。86年
に日米合同の検討委が、爆心地からの距離や遮へいの有無でより正
確に推定できる計算方式「DS86」を策定したが、測定値との誤差
が指摘され、さらに検討が続いている。 |
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