2000・5・27
試行錯誤の被爆者医療 ●健康管理の体制築く 「被爆者医療という言葉には、どこかむなしさがつきまとう」。 広島市南区旭一丁目、医師石田定さん(74)は「原爆医師」として歩 んだ半生を振り返る時、その思いを強くする。広島赤十字・原爆病 院(中区)で一九五七年から二十五年間、被爆者と接してきた。 「被爆者医療とは、いわば対症療法。特別な治療法がある訳じゃな いんだ」
放射線に被曝(ばく)すると、数年から数十年後に「晩発性障 害」といって、がんなどになる危険性が増すことが分かっている。 放射線が人体に及ぼすリスクのデータは、原爆被爆者たちを追跡し た長年の疫学調査から導き出された。 ■後障害の闘い続く 広島では、五〇〜五三年をピークに白血病が多発。さらに十数年 の潜伏期を経て、がんが増加し始めた。放射線影響研究所(旧AB CC=原爆傷害調査委員会、南区)や広島の医師たちによって調査 ・研究が積み重ねられ、甲状せん、肺、胃、乳がんなど、被爆者に 多くみられるがんの種類が次々と明らかにされた。 石田さんをはじめ、広島の医師たちはこうした後障害と闘い続け てきた。放射線を浴びた被爆者に現れる病気は、特別なものでもな い。加えて、喫煙や生活習慣なども発がんの要因となるため、潜伏 期間が長いがんは、放射線だけが原因と判断できないという難しさ も伴う。 ■医師へ膨らむ期待 広島の医師への期待は、がんの多発とともに膨らんでいった。広 島県外に住む被爆者への出張検診の際、石田さんはその期待をひし ひしと感じた。 六四年から始めた出張検診は、北海道や復帰前の沖縄、韓国など 各地に及んだ。広島弁で話し掛けると、ぱっと明るくなる被爆者の 表情に安どした。反面、過大とも思える期待を感じ、やり切れなさ も残った。 「広島の専門医といっても被爆者の苦痛を取り去ることはできな い。せめて、惨禍で傷ついた心をいやしてあげるぐらい」と、石田 さんは振り返る。 広島では、被爆者医療・援護を進める広島原爆障害対策協議会 (原対協)の前身が五三年に発足し、被爆者の検診システムを構築 してきた。原対協健康管理・増進センター(中区)には今、約十四 万人もの被爆者のカルテが並んでいる。 「これは原対協の存在そのものなんですよ」。センターの伊藤千 賀子所長(60)は、茶色く変色したカルテのファイルを手に言う。過 去の個人データはコンピューターに記録され、検診時にすぐさま取 り出して現状と比較することができる。 原対協の検診を受けた被爆者は、一般検査、精密検査を合わせて 九八年度で延べ約十万人。がん検診では同年度、約百二十例の悪性 腫瘍(しゅよう)を発見し、一定の成果を挙げている。 ■不安ぬぐい去れず 「予想される病気を早く発見し、治療する可能性をいかに高める か。当たり前だが、最も有効な対策はこれしかない。広島が試行錯 誤して構築してきた被爆者の健康管理は、広島のノウハウの一つで もある」と、伊藤所長は力を込める。 被ばく者は、晩発性障害の不安をぬぐい去ることはできない。将 来の病気に備え、対症療法でしか立ち向かうすべはない。その現状 は、被爆者医療を今も営々と続ける広島が物語っている。
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