中国新聞社

2000・7・2

被曝と人間 第6部 提言 臨界事故に学ぶ
〔2〕

安全最優先の意識徹底を

 東海村臨界事故を機に、原子力発電への不安感や不信感が高まっている。政府は二〇一〇年度までに最大二十基としていた原発新規立地計画を断念し、目標を十三基程度に下方修正する考えだ。

 プルトニウムを商業用原発(軽水炉)の燃料として使う関西電力や東京電力のプルサーマル計画も相次いで延期に追い込まれた。

 今春からは大口電力の小売り自由化が始まり、電力会社による独占供給から「競争の時代」に突入した。初期投資の大きな原発は不利との指摘もある。逆風は当分やみそうにない。

 ■ドイツも全廃決断

 海外は、もっと動きが急だ。一九八〇年の国民投票で原発全廃を決めていたスウェーデンは昨年十二月、十二基ある原発のうち一基を初めて閉鎖した。ドイツも今年六月、十九基ある原発全廃を決断した。ともに原発が発電量の三分の一から半分近くを占めており、代替エネルギー開発やエネルギーの安定確保など、難題が残っている。両国の決断は、即時停止は現実的ではないが、「これ以上増やさない」選択なら可能ではないかと問い掛けている。

 将来廃止するかどうかは別にしても、原子力発電を続ける限り、絶対に事故は防がなければならない。そのために最も必要なことは原子力施設を安全に運転・管理することだ。それには、経済性など他の要因よりも安全を真っ先に考える意識の徹底浸透が不可欠だ。

 ■理念浸透に努める

 一九八六年の旧ソ連チェルノブイリ原発事故を機に安全確保を最優先する「安全文化」という理念が国際原子力機関(IAEA)によって打ち出された。日本の原子力安全委員会も関係者への浸透に努めてきた。

 しかし、臨界事故は、その訴えが浸透していなかったことを明らかにした。

 事故を起こした核燃料加工会社ジェー・シー・オー(JCO)は、コスト軽減を安全確保よりも重視してルール違反の作業を組織ぐるみで行っていた。国も結果的に、会社の安全に対するずさんな姿勢を許していた。

 ■「経済至上」に問題

 こうした事故の土壌は原子力利用の歩みの中にも見られる。例えばスタート時だ。一握りの政治家が突如原子力開発の予算案を出して、科学者や省庁の反対を押し切った。その後も、技術の自主開発より海外導入を選ぶなど、安全性よりも経済性を優先させてきた。臨界事故でも、そうした問題点が現れたと言える。

 核兵器が示すように核が生み出すエネルギーは巨大だ。それを制御して使う原子力利用で一度事故が起きれば大惨事につながりかねない。米国のスリーマイル島原発事故(一九七九年)やチェルノブイリ事故などが示す通りだ。

 東海村臨界事故では、JCOの社員や関係者が被曝(ばく)し、うち二人が死亡したほか、近隣の住民ら二百七人も巻き込まれて被ばく。避難や屋内退避を強いられた人は、三十万人を上回った。周辺にどれほど大きな影響をもたらすか。国内では初めて原子力事故の特異性を見せつけた。

 原子力利用は本質的に危険を伴う。だからこそ、安全確保を最優先する意識が必要になる。関係者一人ひとりが、このことを再認識してほしい。事故を繰り返さないため、絶対に欠かせない前提だからだ。


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