(09年1月30日)
◆主任学芸員 安田和也
木造の遠洋マグロ漁船として戦後の食糧難時代に活躍した第五福竜丸は、1954年3月1日、太平洋赤道海域のマーシャル諸島ビキニ環礁でアメリカの水爆実験に遭遇、死の灰を浴びて被曝(ひばく)した。乗組員23人は急性放射線障害に苦しみ、無線長の久保山愛吉さんは半年後に亡くなった。
被曝した船体は、政府が引き取った後、東京水産大(現東京海洋大)が練習船として活用したが、67年に廃船となり、江東区の埋め立て地、夢の島湾岸に放置された。「原水爆被害を伝える平和遺産として保存しよう」と、保存運動が全国に広がり、76年、東京都は第五福竜丸展示館を開設した。
館内では実物の船(全長30メートル)と死の灰や日誌類、漁具、乗組員の日用品などを展示、汚染マグロの拡大状況や事件処理の際の日米関係、マーシャル諸島のヒバクシャの声、各国の核実験被害などを紹介している。来館者数は2008年7月で450万人を超えた。年間450校余りの小中高生や多くの市民団体を受け入れ、ボランティアが館内を案内している。
今日の世界の核状況や戦争と平和を知り、学び、考える機会を提供してきたが、事件から半世紀が経過し風化も進む。このため「知らない世代に伝えよう」を掲げ、核兵器被害の写真展や美術展、コンサート、子ども向けの工作教室、平和絵本の読み聞かせを実施。第五福竜丸事件の写真パネル展示会も各地で開催している。
住所 東京都江東区夢の島3の2夢の島公園内
電話 03-3521-8494
ホームページ http://d5f.org
休館日 月曜(祝日の場合は火曜休館)、12月29日-1月3日
入館料 無料
(2009年1月19日朝刊掲載)
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展示されている実物の第五福竜丸の前で、学芸員の説明を聞く生徒たち | 第五福竜丸展示館の外観 | 市民団体や小中校生たちへの案内は、ボランティアが担当している |