放射性廃棄物を捨てる敷地内へ、ダンプカーで土を運ぶ運転手の不安にこたえるセルゲイ・パシェンコさん(右)。「専門家は、放 射線の危険を市民に分かりやすく説明することが重要」と言う(ノボシビルスク市) |
ぽっかりと穴が開いた放射性廃液を流すパイプ。車道に近い その辺りの放射線量は、自然界の10倍以上になっていた(ノボシビ ルスク市) |
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地下から汚染水が湧出 人口百五十万人を抱えるシベリア地方最大の都市、ノボシビルスク市の中心部から北へ約八キロ。住宅地のはずれに核燃料製造企業「ノボシビルスク化学濃縮工場」はあった。フェンスに囲まれているとはいえ、危険物質を扱う工場といった趣はない。 「見ての通り、工場から一番近い住宅地まではわずか四、五百メートル。小学校や幼稚園もある。世界でも大都市にこれほど近い核施設は珍しい」 ノボシビルスクを拠点にした非政府組織「地球的責任を果たすシベリアの科学者たち(SSGR)」の共同創設者で、核物理学者のセルゲイ・パシェンコさん(48)は、工場そばの道を車で走りながら言った。 「なぜこんなに街中に近いかって? それはね、もともと自動車の製造を目的に建てた施設を、スターリン首相の腹心だった国家保安委員会(KGB)のベリア議長がノボシビルスクへやって来て、『核燃料工場につくり替えろ』って命令したからだよ。アメリカとの冷戦が激化していた一九四九年のことだ」 しかし、その生産も米国との協定でプルトニウム製造が中止された九二年にはストップ。九一年のソ連崩壊から九三年にかけての混乱期を経て、主として原発用の核燃料製造に活路を見いだした。 「今ではロシアでも優良企業。輸出額で全ロシアの百位以内に入るのは、ノボシビルスク州ではここだけだ」。パシェンコさんは、工場の周りを巡りながら説明を続けた。 ソ連時代、核関連施設はトップシークレットだった。地質学者だったパシェンコさんの両親は、旧東ドイツのウラン鉱山やキルギス共和国のウラン精錬工場で働いていた。しかし彼は、二十歳になるまで「ウラン」という言葉を父母の口から一度も聞いたことがないという。 「うかつに口を滑らすと機密漏洩(ろうえい)罪に問われた。それほど厳しい時代だった。でも秘密という点では、今もそれほど変わらない。特に工場内での事故や放射能による環境汚染、人体への影響などについては秘密の部分が多い」。パシェンコさんは、野太い声に一段と力を込めた。 車はやがて工場の北端にさしかかった。右折してしばらく走ると、線路の引き込み線が工場に向かって延びている。そのそばに、放射性廃液を捨てるパイプが通っていた。 「ここで放射線レベルを測ってみよう」。パシェンコさんは、運転中の大学院生で核物理専攻のアレクセイ・オソチェンコさん(24)に声をかけた。オソチェンコさんが測定器を持ってパイプに近づく。すると突然、驚いたように声を上げた。 「先生、ここを見て。パイプに穴が開いている。三カ月前の調査のときにはなかったのに…」 確かにパイプには直径約二十五センチの穴がぽっかりと開き、錆(さ)びた金属が中からのぞいていた。空気中の放射線量は、パイプの穴から十センチほど中で毎時三百六十マイクロレントゲンを指した。この周辺の自然放射線量の約三十六倍である。 「このまま放置していたのでは、非常に危険だ。廃液が流れているときなら、この地に多くの廃液が漏れて周辺を汚染してしまう。現にパイプの外側でも毎時百六十マイクロレントゲンの放射線量だ」。パシェンコさんはノートに記録を取りながら言った。 工場から廃液をためている湖までのパイプの長さは四キロ。うち約二キロは、幹線道路から数メートルしか離れていない。が、パイプには放射能を示すマークもフェンスもない。いかにも無防備である。 老朽化が目立つパイプ。これまでにもパイプの継ぎ目などから漏れがあったという。パイプそばを走る車内でも自然放射線量の二倍、約二十マイクロレントゲンを示した。 そのそばで、パシェンコさんらが放射線の測定を始める。すると運転手らが仕事の手を休め、彼の周りに集まって質問を始めた。 「ここで仕事をしても大丈夫か?」 「この土はほとんど汚染されていないから大丈夫。でも、どこへ運んでいるんだ?」 「フェンスの中の湖を埋めているんだ」 「そこは放射性廃液やスラッジ(汚泥状の廃物)をためている湖だよ。敷地内には固形の放射性廃棄物も捨てられている。土ぼこりを巻き上げているのだから、車の窓を閉めて、きちっとした防護マスクを最低限つけないと駄目だ。経営者に要求しないと…」 パシェンコさんは、彼らの質問に丁寧に答えた。余分な不安を取り除きながら、必要な防護措置を取るように助言する。科学者と市民の間にある情報量や言葉のギャップ。それを埋めることも九五年にSSGRを旗揚げした目的だった。 「目前のフェンスだって一年前まではなかった。われわれの調査 がもとでできたんだよ。それまでは、だれでも放射能汚染の湖に近 づき、放射性銅など捨てられた金目の物質を盗んで売っていた」 パシェンコさんらSSGRのメンバーが、米国の環境団体の代表 二人とともに、湖のダムの下流一帯を調査したのは九九年九月。訪 れた米国人がガンマ、ベータ、アルファ線を測定できる精密な測定 器を携えてきてくれたからだ。 「独立した調査をやりたいというのが、われわれの念願だった。 でも、測定器がなかった。それがようやく実現した。ちょうどその ころに、日本の東海村の核燃料工場で臨界事故が起きた。わが身に 起こっているような気がしてね」と、パシェンコさん。 当局の推定では、数百トンのウランが湖の底にたまっているらし い。しかし、放射性物質はダムの外には漏れていないということだ った。 「現実は大違いさ。シベリアでは、春の雪解け時などに水量が一 メートル以上増す。それに備えて、コンクリートの水路を造って直 接小川へ流していたんだ。水路近くの土壌からは毎時千マイクロレ ントゲン、さらに下流の洪水でできた堆(たい)積地からは毎時三 千マイクロレントゲン、自然放射線量の三百倍にも達していた。お まけに小川のあちこちから汚染水がぷくぷくと湧出(ゆうしゅつ) しているんだ」 パシェンコさんらは、調査の様子をビデオに収めて公表した。地 元のマスコミが大きく取り上げ、市民の関心が高まった。工場はそ のために、原子力省から米ドルで百万ドル(約一億二千万円)の資 金援助を得て、周囲五キロに及ぶフェンスを設けた。 フェンスは確かに、放射能で汚染された投棄場所に部外者を近づ けない効果は発揮した。しかし「汚染水の漏れを食い止めることは できない」と、パシェンコさんは強調する。 核燃料の製造を始めて半世紀。これまでにどれだけの放射性物質 が垂れ流され、オビ川へ流れ込んだのか、だれにも実態はつかめな いという。 「汚染水だけじゃないよ。煙突から出る放射性エアゾールの影響 も大きい。今はフィルターもよくなり改善されているが、昔はひど かった。そのためにがんなどの病気も増えている。だが、工場に一 番近いカリニン地区には従業員と家族が多く住んでおり、彼らは工 場内の病院で診断や治療を受けている。だから実態を示すデータが 得られないんだ」 パシェンコさんらは、核関連企業だから「何でも反対」との立場 は取らないという。しかし、旧ソ連時代のように、環境や住民の健 康、起こり得る事故対策をないがしろにして企業活動を続けていい はずはないとも。 「そうした監視のために科学者の知識を生かすこと。今それが一 番求められていると思う」 汚染調査を終えての帰り道、パシェンコさんは確信に満ちてこう 言い放った。 |
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