甲状腺異常のため、北部医学問題研究所のクリニックに入院中の 少女を検診するイリーナ・オソキナさん(クラスノヤルスク市) |
若年の死亡者の墓が目立つ墓地。死亡後1年がたつと石碑に立て 替えられる(アタマノボ村) |
「カメラは今も離せない」と、市民の立場から放射能汚染問題と 取り組む元地方紙カメラマンのウラジミール・ミヘールさん(アタマノボ村近郊) |
ロシア国内の原発施設から特別な貨車で貯蔵庫に運ばれ、荷降ろ しされる使用済み核燃料が入ったシリンダー(鉱業化学コンビナー ト)=ウラジミール・ミヘールさん提供(1997年撮影) |
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甲状腺異常 高い発生率
「もう少しだ」。ガイド役の元村長イワン・コミサロフさん(73)は、助手席からかすかに残るわだちを指してドライバーに方向を示した。シラカバやマツの木が生い茂る樹間を抜けること十五分。突如開けた眺望に、思わず息をのんだ。 豊富な水量をたたえカラ海へと流れる眼下のエニセイ川。その向こうに広がる広大なタイガの中に、シベリアの大自然とは不似合いな建物群が点在する。 「煙突から黒い煙を吐いているのが、火力発電所だ。プルトニウム工場など核関連施設は、この山の地下にある」と、コミサロフさんは遠くを見つめながら言った。
「地下を掘るために何万人もの兵士や囚人が動員された。地表から二百―二百五十メートルの深さに工場はある。最初の原子炉が稼働したのは五八年。六一年と六四年に、さらに二基の原子炉が増設された。再処理工場でプルトニウム生産が始まったのは六四年のことだ」 クラスノヤルスク市から同行の元地方紙カメラマン、ウラジミール・ミヘールさん(46)が、そばから言った。 ゴルバチョフ政権下、民主化への動きが高揚した八九年に、ミヘールさんは初めてクラスノヤルスク26、現在の「鉱業化学コンビナート」を取材。放射能汚染の実態を追跡するうちに、被害住民や環境問題と取り組む学者らと知り合った。そして二〇〇〇年六月、彼らとともに民間の「核不拡散市民センター」を創設、センター長に就いた。 「三基の原子炉のうち、最初の二基はエニセイ川から取水した一次冷却水をそのまま川に捨てていた。だから、川底や川岸がプルトニウムなどさまざまな放射性物質でひどく汚染された。汚染物質はマヤークやトムスク核施設の廃液が流れ込むオビ川と同じように、千五百キロ北のカラ海にまで達している」と、ミヘールさん。 米国との協定に基づき、兵器用プルトニウムの生産は九二年に中止された。それに伴い最初の二基の原子炉は閉鎖された。しかし、二次冷却装置を備えたもう一基は、コンビナートと十キロ南に位置する人口約十万人のかつての秘密都市、ジョレゾノゴルスク市への電気と暖房供給のため、今も使用されているという。 「コンビナートは八四年から、もう一つの再処理施設を地上に造ろうとしたんだ。最初は部外者には分からなかったが、徐々に明るみに出て住民の強い反対に遭った。結局、資金不足も重なって八九年には建設を中断したよ」。建設中止の経緯を語るコミサロフさんの話を引き取るように、ミヘールさんが続けた。 「再処理施設から出る高レベル放射性廃液を処分する『サイト27』という処理場建設も進められた。工場建設予定地から十六キロ離れたエニセイ川の対岸にね。が、この建設も途中でストップしたままだ。このプロジェクトの一環で完成したのは、六千トンの使用済み核燃料が収容できる貯蔵庫だけ。計画全体の五%にすぎない」
「骨組みだけのこの建物がポンプ場の現場だ。粘土層で挟まれた約七百メートルの深さの砂岩層に、ポンプで廃液を流し込もうとしていたんだ。コンビナートの敷地内では、すでに四百万立方メートル、放射能量にしてチェルノブイリ原発事故時の十四倍に当たる約二千六百万テラ(10の12乗=一兆)ベクレルの廃液が地下に捨てられている」 ミヘールさんらの調べでは、このほかにも敷地内には放射性廃液をためる四つの池があり、約七十万立方メートル(放射能量約千二百テラベクレル)を貯蔵。さらに中レベルの廃液を入れる二十二個のタンクにも三十万〜四十万立方メートル(約八百テラベクレル)が保管されているという。 「これ以外にも原発から出た使用済み核燃料というやっかいなものがあるんだ」と、ミヘールさんは険しい表情で言った。「貯蔵量はすでに二千八百五十トンに達している。放射能量にして約一億五百万テラベクレル。チェルノブイリ事故時の五十六倍だよ。加えて兵器用のプルトニウムも保管されている。でも、こちらの方はどれだけあるかさっぱり分からない」 クラスノヤルスク核施設への住民たちの不安は、すでに四十年余の生産活動によって人々の健康や環境に影響を与えることで強められていた。特にコンビナートの下流六キロ、核施設に最も近いアタマノボ村では、がんなどの死亡者が多いという。 「墓を見てもらえば分かるよ。ほら、四十代とか五十代で死んでいる者が多いだろう。一番の死因はがんなんだ」。六三年から十七年間、村長を務めたコミサロフさんは、村の墓地を案内しながら言った。 八〇年代までは二千人以上いた村の人口も、若者たちの都会への流出もあり、今では千人余りに減少した。 コンビナートの周囲百三十一平方キロは「衛生保護ゾーン」である。約三万人が暮らすゾーン内での漁業は禁止。エニセイ川から上水を引いたり、キノコやイチゴ狩りなども禁止されている。牧畜を含め農業は許されているが、汚染を敬遠して取り組む人たちは少ないという。 「漁業と農業がわれわれの主要産業。それが思い通りできないうえに、健康のことを考えたら、若いもんが村を出るのは仕方がない。年寄りのわしらは、もう気にしても遅いから魚でも何でも食べているがね…」。コミサロフさんはそう言うと、その場の重い空気を吹き飛ばすように豪快に笑った。 「対象は無作為に選んだ十八歳から六十五歳までの女性三百十四人、男性六十一人。一番の特徴は、四十代以上の女性の三人に一人は、甲状腺小結節、瘤(こぶ)状の異常が見られたということね。他の地域に比べ、十倍の多さです」。内分泌が専門のオソキナさんは、その時の調査リポートを前に穏やかに言った。 アタマノボ村では天然のヨウ素不足はないという。甲状腺に吸収されやすい放射性ヨウ素131の半減期は八日。その痕(あと)を裏付けるのは今では困難である。村内のセシウム137やプルトニウムでの汚染は、大気圏核実験による汚染のそれぞれ二〜四倍、八〜十七倍(九五年調査)と高い。 「こうした点からも、大気や水を通じてのヨウ素131の影響を疑ってみるのは自然なことでしょう。ちょうど四十代以上の人たちは、コンビナート稼働の六〇年代初期に、一番影響を受けやすい幼少年期を過ごしていることとも符合します」 オソキナさんたちは、二〇〇〇年春にも、コンビナート周辺三町、人口計約十万人の赤ちゃんのスクリーニングを実施した。その結果、四〇%の赤ちゃんに甲状腺肥大がみられた。「この地域の天然ヨウ素は高いし、予防治療もよく行われています。恐らく、母親の健康状態と深い関係があるに違いありません」 アタマノボ村での検診は九八年の一回きりで追跡調査はできていないという。「細胞分析など、より詳しい医学的データを得るためにも引き続き調査をしたいけど、国の予算がつかなくて…」 「きっと政府はこうした事実を知られたくないから予算を付けないのでは?」 こう尋ねるとオソキナさんは「その質問にはノーコメントよ」と、いたずらっぽく笑った。 |
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