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2000.7.15 |
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日米協力 艦船大型化 海上警備強化 地域とのつながり 防衛計画大綱 中国地方の自衛隊の歴史 |
呉母港の輸送艦「おおすみ」運用検証 中国地方の自衛隊トップに聞く |
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「米国流」徐々に浸透 |
三カ月の長い航海の行き先は、ハワイ・パールハーバーの米海軍 基地。七カ国による環太平洋合同演習(リムパック)参加ととも に、米軍にしかない魚雷発射訓練の評価システムを使わせてもらう ためだ。 呉には国内の潜水艦十六隻のうち九隻が集まる。その動向は最高 機密とされ、徳丸輝・第一潜水隊群司令は「日米間でもお互いの手 のうちは明かさない」と言う。それでも、訓練の一部については、 最大のパートナーである米軍の協力を頼らざるを得ない。 一九九九年度の海自隊と米軍の共同訓練は、前年度より六回増え て四十回に及んだ。米国への艦船派遣、日本近海の対潜訓練、掃海 訓練、輸送訓練、洋上給油…。九七年の新ガイドライン合意の前後 から、訓練はいっそう多様化している。 米軍と接する機会が少ない陸上自衛隊にも「米国流」が浸透して きた。 東広島市にある原村演習場。六月初め、第一三旅団の第八普通科 連隊(米子市)が、敵軍から陣地を奪回する訓練を続けていた。 銃を手に目標に突入した隊員たちは、倒れている敵役の隊員の体 を、慎重に検索。手りゅう弾の有無などをチェックした。訓練指揮 官の近藤順・中隊長は「米軍から学んだやり方」と明かす。 一三旅団は、師団時代の九七年秋、滋賀県の演習場で、米陸軍と の実動演習に初めて臨んだ。倒れた敵兵の遺体検索、負傷者を後方 に運ぶノウハウ、同士討ちの防止…。ベトナム戦争の教訓を生かし た米軍のち密な訓練に、実戦経験のない陸自隊員たちは驚いた。 師団は昨年三月、定員数を約七千人から約四千人へと四割余り縮 小し、旅団に生まれ変わった。改組作業を挟み、共同訓練で学んだ 「米国流」は、ビデオ教材などで受け継がれ、旅団の訓練の手本に なっている。 |
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救難や機雷掃海 海外派遣を視野 |
自衛隊初の海外派遣となった九一年のペルシャ湾での機雷掃海か ら九年。最近の海自隊の新型艦船は、海外派遣を前提に相次いで大 型化。補給・修理など、後方支援に優れた呉基地に配備されること が多くなった。 九八年、輸送艦「おおすみ」と同時に、呉に配備された掃海母艦 「ぶんご」(五、六五〇トン)もその一つ。基準排水量はペルシャ湾 に出動した旧型艦の二倍以上。掃海ヘリを搭載でき、新ガイドライ ンで米軍が期待する外洋での掃海も得意とする。 呉基地は今後も海外派遣の後方支援の負担が増す可能性が高い。 だが、艦船の収容能力はもはや限界に近い。呉湾内の係留区域は、 桟橋に泊められない艦船でいっぱいだ。呉地方総監部の幹部も「役 割の拡大に、施設の方が追いついていないのが現状」と認める。 二〇〇二年には「おおすみ」と同型の二番艦の配備も確実視され る。さらに、新ガイドライン関連法成立を受け、防衛庁は、本年度 から米軍支援も視野に、一三、五〇〇トンの大型補給艦の建造を予算 化した。母港は決まっていないが、呉の可能性がある。 |
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「不審船」大きな衝撃 |
海自のパイロットを養成する下関市の小月教育航空群。四月九日 の入隊式で、航空学生七十人を前に田中太司令は、一年前の海上警 備行動を例に出し「海上航空部隊の重責は高まる一方だ」と式辞を 述べた。 不審船を発見し、警告の爆弾を投下したのは、対潜哨戒機P―3 Cだ。パイロットは小月で学んでいた隊員だ。田中司令は「事件 は、パイロットを目指す航空学生にもインパクトを与えた」と話 す。航空学生たちも「あれで、P―3Cの厳しい任務を実感した」 と語った。 事件の余波は、部隊編成にも及んでいる。来春、広島県安芸郡江 田島町に新設される「特別警備隊」は不審船に乗り込み、敵を「無 力化」する実力部隊だ。政府が不審船の教訓をまとめるうちに構想 が浮上、地元へ説明もないまま昨年八月、防衛庁の新年度概算要求 に、異例のスピード計上され、そのまま設置が正式に決まった。 |
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一般公開を重視 |
福山市と笠岡市にまたがるNKK福山製鉄所の専用岸壁。五月中
旬の週末、護衛艦「せとゆき」(三、〇五〇トン)は、市民でにぎわ
った。二年に一度の自衛艦一般公開だ。
「せとゆき」は第四護衛隊群(呉)の中で、緊急出動に備え待機 状態にある重要艦だが、井上秀樹艦長は「いくらでも見せる。自衛 隊への理解につながってほしい」。地域との接点である公開は、ど の艦船も欠かせない「仕事」なのだ。 以前は、自衛隊がPR活動を続けても、国民の意識とは溝があっ たが、九五年の阪神大震災での救援活動などを通じて、信頼度が高 まる。災害派遣やPKOにあこがれて自衛官を目指す若者も増え た。 募集を担当する県単位の自衛隊地方連絡部(地連)は、バブル景 気のころ隊員不足に悩んでいた。広島地連の担当者は「以前と比べ ると、募集活動は楽になった」と漏らす。ただ、長引く不況を反映 し、任期満了の自衛官の再就職や、年間三十日の訓練が義務付けら れる即応予備自衛官の確保には、なお苦労が続く。 また、災害派遣や防災訓練を通じ、自衛隊と自治体との連携は着 実に強まってきた。広島県西部を中心にした昨年の6・29豪雨で も、知事の要請で一三旅団と海自呉地方隊から災害派遣がなされ た。今年秋には陸自と広島県が協力し、大地震を想定した大規模訓 練も計画している。 |
中国地方の自衛隊の歴史
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