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「司法は認定」慰霊碑に報告 原爆症訴訟原告・小松さん '06/8/7

 四十一人の原告全員が勝訴した広島地裁での原爆症認定集団訴訟を闘った原告の小松清興さん(70)=広島市安佐南区=は平和記念式典に参列した。「司法は認めてくれたよ」。認定が認められないまま逝った仲間たちが眠る原爆慰霊碑に、手を合わせた。

 秋葉忠利市長の平和宣言は、心身の苦しみを乗り越えて体験を語る被爆者の歩みに触れた。自身の人生と重なり、悲しみと悔しさがこみ上げてきた。訴訟は勝ったが、国の控訴も予想される。複雑な感情が入り交じり、ほおに涙がつたった。

 九歳の時、爆心から約二・五キロの自宅で被爆、孤児になった。後障害に苦しみ、いじめられもした。市職員になっても、両腕のやけどを長袖シャツで隠し続けた。

 封印した記憶を語り始めたのは、戦後二十年余を経て「広島原爆戦災誌」の編さんに携わってから。「伝えないと被爆者の苦しみはなかったことにされてしまう」。慢性肝炎や狭心症に苦しむ体で集団訴訟に参加したのも同じ気持ちだった。

 式典後、先に平和記念公園を去る政府高官らに車いすごと体を向け、訴えた。「つらくとも、ここまで生き抜いてきた。司法判断をきちんと受け止めて」(森田裕美)

【写真説明】車いすを降り、原爆症と認められないまま、亡くなった被爆者たちに祈りをささげる小松さん


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