▽佐賀の長谷川さん、父失った似島望む
佐賀県吉野ケ里町の会社社長長谷川一美さん(61)は六日、半世紀ぶりに平和記念式典に参列した。傍らにいるのは、かつての式典で手を引いてくれた母ではなく孫の蓮君(6)。当時の自分と同じ年ごろに成長した孫と姿を重ね合わせ「今度はこの子に原爆被害と平和の尊さを伝えたい」と決意した。
長谷川さんは当時、生後十一カ月。母の富美子さん(一九九一年に八十二歳で死去)と爆心地から約二キロの広島県段原町(現広島市南区)の自宅にいる時に被爆した。父一郎さん=当時(41)=は勤め先に向かったまま行方不明。二週間後、似島(同)の臨時野戦病院で富美子さんが遺骨を受け取った。
長谷川さんに当時の記憶はない。戦後間もなく富美子さんの再婚で九州へ転居。十歳になるまで、夏になると一郎さんが息を引き取った似島へ富美子さんと通い、式典にも参列した。似島の海辺に立つ慰霊碑の前で何度もあの日の惨状を聞かされた。むせび泣く母の姿は今もまぶたに焼き付いて離れない。
遺族代表として参列した式典の後、長谷川さんは蓮君と一緒に広島港から似島を望んだ。「六十一年前、何があったかを伝えたい。平和を守るためにも」。そう言って蓮君の肩をやさしくたたいた。(門脇正樹)
【写真説明】「もう二度と戦争はしちゃあいけん」。父が亡くなった似島を指さして蓮君(右)に語り掛ける長谷川さん
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