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原告の執念無駄にしない 「支援する会」事務局長 '06/8/5

 ▽広島の原爆症認定集団訴訟で原告らを支えた
「原爆訴訟を支援する会」事務局長 渡辺力人さん(79)

 勝訴判決は、法廷後方の傍聴席で聞いた。喜びと涙がじわじわとこみ上げた。

 三年二カ月に及んだ裁判を原爆訴訟を支援する会の事務局長として支え続けた。広島県被団協(金子一士理事長)に被爆者相談所を設け、所長に就いたのが十年前。以来、被爆者健康手帳や各種手当の申請などの行政手続きから身の回りの心配事まで被爆者の悩みに応じて来た。多くの原告は「お父さん」と慕う。

 東広島市に生まれ、十五歳で中国北京へ。電気通信学校を卒業して、現地の電報局で働いた。中国人の友人もできた。「日本軍の言うことはおかしい、日本は負ける」。そう感じ始めたころに召集されたが脱走、終戦を迎えた。

 帰国後、詩人峠三吉や被爆者の妻(76)の影響で、被爆地での平和運動に没頭。「病苦だけでなく、差別や偏見に口を閉ざした被爆者たちが、孤立していた。原爆被害の根深さを感じた」

 政党職員を退いた十七年前、妻と地域を回り、原爆被害者の会を結成。その妻はいま、介護が必要になった。二年半前、急に脚がふらつき転倒。頭を打った。原因は分からない。「原爆のせいか」。疑念は晴れない。

 体のあちこちが次々がんに冒されたり、被爆後半世紀以上たって急に白血病で亡くなったり―。相談所では、今回の判決がいうように、国が示す「科学的知見」だけで説明のつかない被爆者の実態に触れてきた。

 「体にむち打ち闘ってきた原告の執念を無駄にしてはならない」。認定の在り方を根底から改めてほしいと願う。広島市西区に妻と二人暮らし。(森田裕美)

【写真説明】広島の原爆症認定集団訴訟で原告らを支えた「原爆訴訟を支援する会」事務局長 渡辺力人さん


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