朝、気になることが続いている。ここ数日、目覚めると、すでに家主のアンナ(65)がいない。今朝もまだ、時計の針は午前六時半を指している。
広島からの同居取材を受け入れてくれたアンナ。やはり、2DKの狭いアパートに、アジアからの他人が寝泊まりしているのは落ち着かないのだろうか。それで早朝から家を離れているのでは。気もそぞろに、アンナの弟のステファン(54)と作業所を取材するため、家を出た。
▽明け渡し要求
チェルノブイリ原発事故の被災者や、障害者が働く作業所「のぞみ21」には最近、大きな問題が持ち上がっている。大家のゴメリ市が建物の一部を明け渡すように言ってきているのだ。広さはこれまでの半分になってしまう。その上、家賃は今まで通り月に日本円で約四千二百円払えと言っているらしい。
作業所は以前、徴兵前の若者を訓練する施設だった。長い間放置され、ぼろぼろだった。「被災者の子どもたちが集える場所として使わせてほしい」。十一年前、ステファンの妻、ナターシャ(51)らの申し出に、市側は喜んだ。当初は家賃もいらなかった。
原発事故から九年目の話だ。旧ソ連の崩壊により、社会の混乱も続いていた。被災者や障害者の生きがいとなる施設を整備する余裕などなかった行政にとっては、民間が運営する被災者の作業所は渡りに船だったのだろう。
「役人のできない素晴らしい仕事だと言われたのよ。荒れていた建物に人が入れば、施設の維持管理にもなるし、大助かりだって」
昼食を取りながら、ナターシャは当時を思い返して説明する。この日のおかずは、ゆでたマカロニだけだった。前日は、これに、ふかしたジャガイモが付いていた。資金繰りが苦しい作業所は、とにかく節約第一だ。
不満は続く。ナターシャによると、行政の好意的な対応は徐々に変化していった。作業所に口コミで若者が多く集まると、無料で貸すわけにはいかないと、市は家賃を払うよう求めてきた。
強権的政治体制のベラルーシでは、非政府組織(NGO)や民間団体への管理も統制が進んでいる。昨年は、海外の支援物資を受け取る際、パスポートや障害者証明の提示を求められるなど規制が一段と厳しくなった。援助物資は一般輸入品に比べ、税金がより免除されるので、悪用を防ぐというのが理由という。
▽財政補助なし
作業所のつくる製品の売れ行きも芳しくない。中国産やベトナム製などの安い輸入品が流れ込んでいるためだ。日本と違い、障害者施設の運営への財政的補助もない。日本のボランティア団体「チェルノブイリ支援運動・九州」(福岡県水巻町)による商品購入などの支援で何とか、しのいでいるのが現実だ。
「何かいい知恵はないのかしら」。そう聞かれたが、答は浮かんでこない。重い空気が流れる。
夕方、アパートに戻ると、アンナが「ロト」というクジで四千ルーブノン(約二百二十円)が当たったと上機嫌で浮かれていた。チャンスとばかりに聞いてみる。「あ、あのう、いつも朝からどちらへお出かけですか」
「近所で子守のアルバイトだよ。月に一万円程度の年金じゃ、生活できないからね」。少し安心した。毎週くじに当たって、いつも上機嫌でいてもらいたい。<敬称略>(滝川裕樹、写真も)
【写真説明】被災した若者らが集い、ロシア名物のマトリョーシカ人形などをつくる。作業所「のぞみ21」の雰囲気は明るいが、経営は苦しい
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