中国新聞
在外被爆者 願いは生みを超えて
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2002/08/08
 
アンケート 米国

牛野利夫さん(78)=加州サンラファエル (写真右)

今でも髪の毛引っ張る

  原爆におびえ続けた。「髪の毛が抜けだすと死ぬ、と当時はまことしやかにうわさされていたから、死体を焼きながら髪を引っ張ってみるのが習慣になって…」

 鹿児島県出身。広島市南観音(西区)の陸軍教育隊で訓練中に被爆。左側の首と耳にやけどした。八月十六日まで、比治山(南区)で死体処理に当たった。傷あとは五、六年で消えたが、死体処理による放射線の影響への不安は簡単に消えない。

 「内臓というのはなかなか焼けなくて、黒いボールのようになって残っていた。あのにおいはすさまじかった」。名前も性別も分からない死体を焼き、瓦の上に頭の骨だけを並べた。「今でもあのときの光景が頭を離れません」

 被爆四十年、復興した広島を訪れた。原爆慰霊碑前に立ち、涙が止まらなかった、という。

 今、現地邦字紙の地方通信員を務める。五年ほど前から、米国人を前に被爆体験を語るようになった。「戦争だけはもう避けたい。原爆はもうこりごりなんです」

 今は、体調も悪くないし、さほど心配はない、という。「ただ…。今でも髪の毛を引っ張ってみますがね」






佐々木和子ルーズ(75)=リードリー▽祇園駅近くの可部線の車内  米国で生まれ日本で戦争に遭い、日本人として育ちながら米国籍を持っているため、あれこれと苦しい生活をした。被爆後、身内の住む米国に帰国した。二国の国民としていくことが法律で許されず日本国籍を捨てた。今は米国籍だけ。年をとり、いろんな病気にかかり、医者の薬代も老人保険だけでは生活が困難。保険か何か、薬代を出していただければ老いた私たちも、あと何年かを苦しまず安心できます。できるだけ早く何かの手助けをいただきたい。
土手フルフレッド金雄(73)=サクラメント▽広島市江波の工場で学徒動員中  医療費が高いのでその手助けがほしい。薬が高くなり本当に困っています。三カ月に一回は医者にかかっています。高齢期を迎え、先はありません。
倉本節子(66)=アラメダ▽広島県安佐郡古市町の学校の校庭で朝礼中  里帰り治療は元気な人だけ受けることができます。長旅が不可能な病気の人たちが今必要なのは当地での医療援助です。ほとんどの被爆者は後遺症があるとは知らず、戦後渡米しています。人道的見地で、アメリカの被爆者もぜひ日本の被爆者同様に扱ってほしいです。
篠原博一(58)=サンフランシスコ▽広島市段原日出町の自宅  日本国内の被爆者と同様の扱いをしてほしいと思う。現在は、海外の被爆者には日本国内並みの手当が支給されていない。同じ被爆者でありながら、ただ海外に住んでいるという理由だけで支給されないのは不当であり理解に苦しむ。
鍛治田洋子ナンシー(69)=サクラメント▽広島市仁保町  このアメリカで日本の人と同じようにもらえないことは本当に悲しいと思います。あのとき(原爆投下時)の空気を吸っているので先が思いやられます。
河原房子(75)=コロラド州デンバー▽広島市己斐  手首を骨折して当地で治療しましたが、痛くなり皿洗いもできなくなったので、日本に帰って大学病院に行き手術をしていただきました。おかげさまで今では生きる希望を与えていただき本当に感謝しています。ただ三カ月の滞在は、兄の家では八人家族で世話になるのも心苦しい思いをしました。外国から治療する人のための宿を造っていただけたら助かります。
レッドフォード宣子(78)=エルクグローブ▽広島市段原中町の自宅  死期が近づいていて切なく日々を過ごしている身には、日本の被爆者同様、毎月健康管理手当を支給してくだされば心身ともに落ち着いて残った人生を送れます。
匿名男性(77)=カリフォルニア州▽広島市千田町の広島工業専門学校  放射線を受けていると会社によっては保険に入れてくれないところもあります。政治的な問題かもしれませんが日本と同じようにしてもらえれば苦労や心配のほとんどが解決できると思います。
匿名女性(70)=カリフォルニア州▽九日に広島市に入市  昔から日本人の考えでアメリカは裕福な国という先入観があって、医療費は十分自分でまかなえるという気持ちがあると思いますが、被爆者はどこに住んでいても同じでなくてはならないと思います。こんなに長くほっておかれたのも、戦時に培われた我慢の表れ。何も言わないから放っておけばいいという時期は過ぎたと思います。
遠藤篤(72)=サンフランシスコ▽広島市西天満町の電車内  医師団による健康診断と渡日治療と、在外被爆者に対しても健康管理手当の支給を。
岡崎昌彦(64)=モントレーパーク▽広島市平野町の自宅  残りわずかな人生、健康保険を買う手助けをしていただいたら幸せ。それも早急にお願いします。
カーペンター・スエ(68)=サンディエゴ▽長崎市茂里町 サンディエゴの被爆者は二年に一度、広島からの医師団に日本語で診察を受けられることに感謝しています。私たちはロサンゼルスへは、午前三時に起きて五時までに一カ所に集まって大型バンで行きます。診察を受けないと日本に呼んでもらえません。いつ病気が再発するかの不安、苦しみ、痛みは在日、在外ともなんの変わりもありません。
匿名女性(64)=フロリダ州パナマシティ▽長崎市銭座町の自宅  フロリダ州から日本に帰るのは待ち時間も入れるとほとんど一日かかり、病気の老人には無理です。予算の五億円を平等に個人に出費してください。医師団派遣は費用がかかりすぎます。こちらの被爆者も先が短いですので死んでしまうのを待たずに今すぐ支援をしてください。
井上晶雄(73)=イリノイ州▽広島市千田町の病院入り口で診察待ち   太平洋横断の長時間の空路旅行は苦難なので、米国内の病院と医師に頼りたい。日本の被爆者と同額の支給がいただければ、米国の医療保険に入れるので助かる。また米国が、原爆を投下した責任上、幾分かの医療費を援助し、少なくとも被爆者であるために保険会社が加入拒否することがないよう、法的に被爆者を守るよう日本政府から働きかけていただきたい。
松川英博(72)=ロサンゼルス▽広島市平野町  日本と同じように被爆者健康手帳で病院でみてもらうことができるようになったらと思う。
アイドン和子(70)=ハイワード▽当日おばを捜し広島市に入市 今から二、三年前までは大きな声で被爆者と言えなかったのではないでしょうか。医療保険を得るためには口をつぐんでいないといけなかったのでは。放射能が怖いと、友人になるのも恐れられたし、ずい分白い目で見られました。
テレジア山田アソブ(84)=イリノイ州シカゴ▽広島市楠木町の修道院  日本へ毎年治療を受けに行っている間は、援助をあげるから(手当を振り込む)銀行を決めるようにと言われましたが一回しか入金はなく、今は受けられません。海外の被爆者は本当にかわいそう。
今井文子(71)=パシフィックグローブ▽広島市草津本町の自宅   (被爆者健康)手帳もあるので日本に行けば治療していただけると思いますが、家族や子どもを抱え、現在では主人も老齢で放って行くこともできませんので、どんなにかかっても当地で対処しなければなりません。海外にいても被爆の事実は消えません。
倉本寛司(76)=アラメダ▽父親を捜して八日に入市  被爆者は年を取り、もうあまり生きられません。このまま見捨てないでください。日本は弱者をまさか見殺しにはしないと信じますが、海外の被爆者の実態をぜひ調査して善処してください。
レイ子ボロスカ(68)=バージニア州バーク▽自宅(町名の記述なし)  私は子どももいませんので主人が先になくなった場合に日本へ帰りたくても一人でどうしたらいいか。そんな時に誰か助けていただけたら。
小谷雅子(57)=ニューヨーク州ママロネック▽広島市舟入川口町の自宅  健康保険に加入してないので病気のときの不安や経済的な心配は大きい。被爆時は赤ん坊で実感として原爆の恐ろしさなどないが、将来の健康には不安を感じる。日本に住んでいれば当然できる定期健診や(被爆者健康)手帳や金銭的援助のありがたさを近年特に感じる。
川崎和枝(72)=サンノゼ▽広島市仁保町で学徒動員中  被爆から随分歳月が経ち、海外移住者の存在を忘れ去られたような気持ちでしたけど、このたび私たちの存在を確かめようとしてくださることに喜びを感じております。日本政府も大変な情勢と存じますが、今後の対策、ご一考くだされば幸いです。
木村清子(60)=ジョージア州アクワース▽広島市皆実町の自宅  一人で生活しています。何の保険もなく毎日が心細くとても心配。(被爆者健康)手帳がアメリカでも使えるようになることを願っています。私のような年になると仕事もありません。
匿名女性(68)=イリノイ州▽広島市三篠町の自宅  核事故や戦火のシーンがテレビに出てくると気が重くなるのは今でも事実。核を使用した兵器が堂々と使われることに深い悲しみをおぼえます。広島の政治家はどんな主張をされておられるのでしょうか。私たちの体験を大切に思っていてくださるのでしょうか。それとも原爆のことはもう忘れ、武力を使える新憲法へ向かっておられるのでしょうか? ぼうぜんと立ちすくむ思いです。
匿名女性(56)=イリノイ州▽広島市で爆心地から二キロ以内で胎内被爆  海外で使用できない(被爆者健康)手帳のために、日本政府がどうしてそのような費用を使うのか理解できません。経済的な不安を少しでも解消するため、手当ての受給を。欲を言えば、被爆者が安心して通院できる医療施設があったらと思います。
川崎昌子(65)=サニーベール▽広島市舟入川口町の路上  今後どのように老いていくか分かりません。日本に行って治療する場合住む家(頼れる親せき)もないので被爆者の住む場所(低家賃)があれば安心してできるので、考慮していただきたいと思う。
梶村美代子(62)=アラメダ▽広島市仁保町で遊んでいるとき  もし日本で治療を受け、薬を長く続けて飲むような場合、その薬を送っていただけるとか、医者と電子メールやファクスなどで連絡がいつでも取れるような便宜をはかってもらえたら幸いです。事実、医師団による検査結果をこちらの医者に見せても相手にしてもらえないし、こちらで再検査をしてもらっても、問題はないと言われます。
マーク・ファン(76)=サクラメント▽広島市江波町の陸軍兵器学校広島分教所  国の差別なく、日本国内居住の被爆者同様の処遇をしてほしい。いつでも有事には、近くの医療機関に行けるようにしてもらいたい。
ミチコ・ジューン(75)=ミズーリ州▽長崎市の工場  日本の政府はあっちこっち(外国に)送る金があるのに同じ日本人の被爆者に援助金が出ない理由が分かりません。
匿名女性(57)=キングスバーグ▽広島市矢賀  アメリカは戦時中、キャンプ(日系人収容所)に入れた日本人全員に(海外にいても)補償をしました。日本はどうして被爆者全員(海外に住んでいても)の手助けができないのでしょうか。  

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