|
竹内恵(72)=サンパウロ市▽詳細記述なし |
|
広島が被爆して五十余年の今日も、恐ろしい悲しい出来事を忘れることはできません。今このようにペンを持っていると手がふるえて胸が高鳴り、できるなら思い出したくありません。今日の行政者は当時の被爆者の実態などみじんも知らないのでしょう。私は当時十六歳の少年志願兵。あげくの敗戦。むなしさ、貧しさ。お国のための移住でした。少なくともわれわれこそ過去の功労者でありませんか。 |
|
|
西村ヤスコ(71)=サンパウロ市▽広島県安佐郡の安小学校で救護活動 |
|
主人は五年前に亡くなりました。一日でも早く手当をもらったらと思っています。 |
|
|
尾糠芳枝(72)=パラナ州クリチーバ市▽広島市三篠本町の自宅 |
|
サンパウロでの健診は四百キロ離れているので今の私は一人では難しい。帰国治療も病が重くなってからでは二十四時間以上の旅行に体が耐えられるか疑問です。 |
|
|
本多宣皓(66)=サンパウロ州バストス市▽長崎市桶屋町の自宅の庭 |
|
私たちも日本国籍を持つ日本人です。外国人ではありません。私たちも残り少ない人生です。よろしくお願いします。 |
|
|
沖桝春登(74)=サンパウロ市▽広島市横川町で救援・救護活動 |
|
現在の日本での入院・治療や手当は、ブラジルの被爆者が同様には受けにくい。健診の日数や頻度が多くなるように期待します。 |
|
|
田中和子(62)=サンパウロ州カンピーナス市▽広島市南観音町 |
|
四十数年間、広島出身者であることを隠してきました。子どもたちの結婚に差し障るためです。最近は医者と薬に頼るようになりました。気ままを言えば二年に一度の健康診断はありがたいと思っていますが、その分で少しでも薬代として手当をくださる方が私たちはありがたい。 |
|
|
坪井康夫(58)=リオデジャネイロ市▽広島市翠の自宅 |
|
できればいざと言うときに間に合うようにブラジル国内の病院でみてもらえるようにしてほしい。二年に一回の健診は続けてほしい。手帳取得は、私は十年前から手続きを始め、まだもう一回訪日せざるを得ない。代理でできれば助かるのですが。 |
|
|
中村槙(58)=リオデジャネイロ市▽長崎市矢之平町の自宅 |
|
日本と同じように健康管理手当がほしいです。医療代が高いから、良い病院で良い医者に良い治療を受けることができません。例えば私は、救急病院へ行って背骨に異常ないと言われ、帰宅させられましたが、立つ事も座る事もできずまた寝ることもできず、今も毎日のように痛みに耐えている状態です。二男は目の神経が弱く、三男は脳内に原因不明の石があって、日光を浴びるとめまいがするそうです。被爆は遺伝しないのでしょうか?
|
|
|
藤山美恵子(61)=パラー州ベレン▽広島市横川町の自宅 |
|
サンパウロで日本の医師団の健診を受けるように通知がありますが、ベレンからは飛行機で四、五時間かかり、飛行機代も高くて行けません。ベレンでも健診は高くてやったことがないので、自分の身体がどうなっているのか心配です。こちらで健診ができるようになればうれしい。 |
|
|
西村春美(67)=エスピリットサント州セーハ市▽広島県安佐郡安村で黒い雨を体験 |
|
アメリカのまいたビラを田んぼの中で拾っているとき、黒い雨にあいました。年に一度、精密検査を受けたいです。日本の被爆者と同様の待遇を希望しています。 |
|
|
井上松枝(81)=サンパウロ州サントアマーロ市▽八日に姉を訪ねて広島市に入市 |
|
日本政府の冷たい態度が悲しい。日本国内と同様の待遇をしてほしいと思う。少し体の調子が悪いと被爆のためかと常に不安がつきまといます。 |
|
|
森田隆(78)=サンパウロ市▽広島市山手町で憲兵として従事中 |
|
世界最初の核兵器による被害者にいまだに救援の道がないことに強く抗議し、一日も早い償いを求めます。広島のその日は地獄でした。南米在住被爆者の現状を調べ、一日も早い救援を。
|
|
|
森田綾子(77)=サンパウロ市▽広島市河原町の県衛生試験所で勤務中 |
|
日本の被爆者と同様にアメリカが落とした原爆を受けた被爆者でありながら、そのようなことは問題でないといって国外移住を奨励されたことに、日本政府につぐないをお願いしたい。 |
|
|
田中明義(77)=リオデジャネイロ市▽長崎県の大村海軍病院で救援救護 |
|
長崎での治療を勧められましたが、高知県出身で九州方面のことは忘れていて、一人で行くことはできません。私は青春時代に国のために戦争に行き、生き残ってブラジルに渡った。いつか故郷ににしきを飾るつもりでした。被爆者はみんな努力しており、誰も自分の国は忘れません。同様に顧みていただきたくお願いします。 |
|
|
渡辺淳子(59)=サンパウロ市▽詳細記入なし |
|
医療が自由に受けられるように日本の被爆者と同様に。こちらは薬代は全額なので負担が大きい。二年に一度の医師団派遣では単なる検査だけ。もしその結果で医者にかからないといけないものはやはりお金がかかります。被爆者は特殊な病気というか専門的になるのでこちらの医者と原爆病院が連携を取ってほしい。 |
|
|
石橋フユ子(84)=サンパウロ市▽長崎市大井手町の自宅の井戸 |
|
日本在住の被爆者と海外在住の人を差別する理由はどこにあるのでしょうか? 現在在外選挙まで行われ、軍人恩給を海外でもらっている人はどう解釈していいのでしょう。病院通いをしています。ブラジルは薬代も高く、なるべく買わないで良いように、薬草を育ててそれを飲むようにしていますが、けがなどをした場合、やはり病院に行くことになり、現金が必要です。一人暮らしをして切ない思いをしております。 |
|
|
山藤正人(74)=サンパウロ州サントアマーロ市▽広島市西白島町に入市 |
|
(被爆者健康)手帳持参者は、サンパウロの日伯友好病院で診察していただけるようにお願いします。 |
|
|
中川正光(74)=サンパウロ州アリカンデューバ市▽長崎市大浦町 |
|
被爆後のことは誰にも言いたくありません。いまさら言うのは避けたいと思います。日本から移住した方はみんなが成功したわけではありません。いろいろな事情があり、不成功の方、日本に行って医師に診断を受けるとき、長引く滞在費用を払えない方もいます。日本まで行かないでブラジルで診断を受ければ滞在費用もいらないことになります。誰も好きこのんで被爆者になったわけではありません。 |
|
|
菅好子(75)=サンパウロ州サンアンドレ市▽広島市草津町 |
|
戦争中はお国のために働くことは当たり前のことで、原爆が落ちたことは、まだまだお国のために死んでいった人たちが多い世の中でしたので、あまり被害意識はありませんでした。でも良く考えると大変なことだった。被爆者の集いに参加するようになり、みなさんたいてい病気がち。私も昔から弱い弱いと言われて来て、やっかいな病気になるたびにああこれが原爆か、と思うようになりました。 |
|
|
堀田キミヨ(74)=サンパウロ市▽広島市の三菱機械 |
|
昨年八月に帰国治療に行き、日本では良くしていただき感謝しています。ブラジルでの病気の結果を書いてある書類を日本の病院の先生にお見せしましたけど、先生はポルトガル語ではどうも、と言って見てくださいませんでした。もしブラジルにいて被爆者が無料でみていただくことができたら、生きる楽しみができると思います。 |
|
|
寺尾貞亮(63)=サンパウロ州ピラードスール市▽長崎市西小島町の自宅 |
|
数年前より疲れやすくだるくなり、昼二時間休まなければ頭がボーっとして働くことができません。胃の調子も悪いので年に一度有料の健康診断を受けます。今後、年をとるに連れてさまざまな病気になる傾向があるでしょうから、ブラジルにいても被爆者健康手帳のような援助を受けられるように期待しています。 |
|
|
新崎アキノ(73)=パラナ州マリンガー市▽長崎医大病院で看護婦をしているとき |
|
日本在住の被爆者と同等の健康管理費が毎月もしくは毎年受給できたら何よりと思います。 |
|
|
沖本幸子(71)=サンパウロ州カピバリ市▽広島市江波町で学徒動員中 |
|
被爆者健康手帳は一度取得した人は日本と海外などと差別なく、死亡するまで有効となるようにできないものか。七十、八十歳と年寄りになると再申請もわずらわしい。
|
|
|
山縣政秋(73)=サンパウロ州パラプーア市▽広島市中心部に入市 |
|
日本国外に住む被爆者は日本国籍であっても差別されることに不満を抱いています。戦時は同様に国のために尽くした同僚です。敗戦のため仕方なく生き方が違ってきただけで現在も日本国民と自覚し、在外選挙権も持っています。懐かしい古里の墓参りすらできずに命を断たれた方も多く、生き残りも高齢化し、渡日治療は難しくなっております。身近なところで診察、治療できることを望んでいます。 |
|
|
山縣アキ子(71)=サンパウロ州パラプーア市▽九日に爆心地近くに入市 |
|
日本で治療を受けた際、同じ被爆者で日本に住んでおられる方々が入院しておられるのをうらやましいなーと寂しさを感じました。海外に住む私は医療費は全部自己負担。これまで大手術を四回もして家族には随分苦労をかけてきました。出国と同時に「健康管理手当は支給できません」と言われ、ひがみ心情になったのは私だけではないと思います。 |
|
|
田渕周子(70)=サンパウロ州サントス市▽広島市雑魚場町で建物疎開作業中 |
|
日本と同じようにしていただきたいと思っておりましたが、主人も亡くなりましたし、私一人です。この先、何年生きられるか分かりません。日本政府に絶望しました。五十年以上たってこの通りですから、政府はこれ以上何もしないでしょう。 |
|
|
「一(76)=サンパウロ市▽広島市で被爆 |
|
私は韓国籍です。南米の被爆者も老齢になり、日本に行ったり来たりすることが、生活面健康面で大変難しくなりました。ブラジル国内で被爆者健康手帳取得、健診、治療その他ができるように願っています。 |
|
|
脇川千房(73)=リオデジャネイロ市▽長崎市茂里町 |
|
被爆時のあの悲惨なありさまを一言で言い表せるものではありません。海外の被爆者に対しても日本国内の被爆者同様に健康管理手当支給の実現を一日も早く願っています。医療費、薬代の高いブラジルでの生活は心細いものです。 |
|
|
国広幹雄(75)=パラナ州アプカラナ市▽広島市に入市 |
|
五四年に移民したときはサンパウロから千キロ離れた原始林に住んでいました。医療が無料になるのもありがたいですが、(健康)管理手当が頂けたら、緊急のときに最寄りの病院に駆けこむことができます。 |
|
|
横山敏行(72)=ゴイアス州ゴイアニア市▽広島市三篠町で学徒動員中 |
|
いざ病気という場合はサンパウロ市まで行けないと思います。他州在住被爆者の場合も私と同様と思いますが、地域の病院で治療を受けられるようにしていただくと助かります。海外在住者の渡日治療は、私たちは平均年齢七十歳を過ぎていますので体力のある被爆者は数少なくなっています。
海外在住者は日本人でないのでしょうか? 私たち在外被爆者は国に見捨てられたのでしょうか。ブラジルにいても日本人は日本人。あまりにも差別がひどいと思います。原爆を投下した米国にも重大な責任がある。なぜ日本国政府は米国に抗議しないのでしょうか。 |
|
|
久保榮作(78)=サンパウロ州マリリア市▽広島市の大河小学校 |
|
三回健診を受けました。治療はしていただけませんが、現在の自分の体の状態がわかり、大変参考になりました。私も何かと身体の異常をきたし、一年に数回はマリリアの医院で診断してもらいます。重病の場合は広島の病院への紹介手続きをしていただけるそうですが、マリリアの病院で治療ができればと思います。
|
|
|
広瀬泰子(87)=リオデジャネイロ▽広島市千田町の山中高等女学校 |
|
(ブラジル被爆者の訴えが)勝訴することをお祈りします。それで海外被爆者を日本国民として認めることになると思います。この外国にあって子どもたちを一人前に育てた老人たちは経済的には空っぽで、老後の生活を子どもたちに頼っているのが実情ではないでしょうか? |
|
|
浜咲美代子(61)=サンパウロ州スザノ市▽広島市舟入町の自宅 |
|
日本にいたときは医療費を全額みてもらってましたが海外に出るとないので大変です。日本に帰ると治療してもらえるようですが、ブラジルで治療が受けられるようにしてほしいです。一番心配なのが病気なので何とかしてほしいです。(サンパウロの)日伯友好病院で治療を受けられるようにしてほしい。 |
|
|
盆子原国彦(62)=サンパウロ市▽広島市舟入川口町の父が働く事務所内 |
|
海外にいる被爆者が望んでいるのは日本にいる被爆者と同等の援護ですが、無理でしょうから、指定病院で受診できること。次に健康管理手当、医療特別手当、特別手当、介護手当、葬祭料などの受給ができるようにしていただくこと。 |
|
|
中崎武(66)=サンパウロ市▽原爆投下四、五日後に長崎市に入市 |
|
在外被爆者に対し被爆者援護法が適用され、医療が現地で受けられるようになればいいと思う。 |
|
|
吉賀春子(80)=サンパウロ市▽広島県安佐郡高取で黒い雨を体験 |
|
日本におられます被爆者と同様に私たちも年をとっていますゆえ、生きているうちに手助けくださいませ。 |
|
|
堀岡貢(72)=サンパウロ州スザノ市▽広島市吉島本町の工場 |
|
現地での治療が受けられるよう望んでいます。私たちは高齢でとても帰国治療に行けない。医師に来てもらっても治療につながらない。政府が五億円規模の基金創設をして渡日治療の費用に充てるとのこと。ぜひ、現地の声を受け入れてほしいと思います。 |
|
|
滝野柳市(85)=サンパウロ州カッポンボニート市▽広島市内で救援・救護 |
|
私ら海外で暮らす者は日本国籍を持っておりながら日本におられる原爆被爆者と差別されているため、精神的に苦痛でなりません。私ら移民は、敗戦後海外に出てお金を持って日本に帰り、少しでも国のためになろうと思ってはるばる渡った。 |
|
|
向井昭治(75)=サンパウロ州サンベルナルドドカンポ市▽広島市南観音町で学徒動員中 |
|
海外被爆者を法的に認める。 |
|
|
細川照男(74)=サンパウロ市▽十日、広島市松原町に入市 |
|
二年前より半身がしびれております。特に最近血圧が不安定なので帰国治療を受けようと思っても飛行機に乗ることができなくなりそう。国策上理解して移住した者です。国内被爆者同等の援護法を受けるのが当然のこと。早く早く同等にしてください。 |
|
|
小原妙子(75)=サンパウロ州モジダスクルーゼス市▽広島市西天満町の工場で勤務中
|
|
ほとんどの移民は農業従事者です。成功すればよいけど、しないとみじめな生活です。病気が一番心配ですが、こちらは医療費が高いので医者にかかれません。不安な毎日を過ごしてます。 |
|
|
青崎鶴子(78)=サンパウロ州モジタスクルーゼス市▽広島市の広島駅の鉄道工機部勤務中 |
|
やはり何といっても第一番に気になりますのは医療費。わが子がいるとはいっても、みなそれぞれに家庭を持っていますので一番心配です。具合が悪いとき、非常に心配です。少しでも援助していただければ幸いです。 |
|
|
松本政子(77)=サンパウロ州ジュキア市▽広島市牛田町の自宅 |
|
私はくも膜下出血の後遺症のため、手が震えて字も満足に書けません。原爆で母が亡くなり私たち妹弟三人がどんなに悲惨なものであったか。とにかく私の生きている間に年金支給をしてくだされば、ありがたく祖国に感謝しながら異国の土になれると信じております。同じ日本人でありながら同じ扱いを受けられないのは、異国では特に肩身のせまい思いをしております。日本人であることが自慢の一つになりますよう。 |
|
|
向井聖治(70)=サンパウロ州サントアマーロ市▽両親を捜して広島市に入市 |
|
自分の住んでいるブラジルでいつでも健康診断を受けたい。 |
|