中国新聞
在外被爆者 願いは生みを超えて
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2002/08/08
 
アンケート アルゼンチン

中西芳子さん(66)=(74)=アベジャネダ市 (写真右)

経済悪化で上がる薬代

 「五十七年、思い出すことさえ忘れるようにしておりました。今の自分をかえりみて、あのときにどうして死ななかったと胸を痛めております。死んでいたら家族に迷惑をかけなかった。遠いアルゼンチンにいてただ悲しみでいっぱいです。年をとるにつれ、家族の者に心配をかけます」

 十七歳のとき、広島市東観音町(西区)の私立西高等女学校で被爆した。

 「アルゼンチンは日本語を話せる医師は少ない。更年期に入るころから医師が必要となり、ずいぶんと苦労しました」

 今春以降、アルゼンチンのペソは大暴落した。

 「ブエノスアイレスも状態が悪く、現在は薬代に困っています。薬も現在はドル払いになり、私が飲んでいる薬は以前の八―十倍になっています。生活上、どうしていいか…」

 一九七八年に被爆者健康手帳を取得し、四回の里帰り治療を受けた。最近は、どうきがする。両ひざが悪く、歩くのが不自由。

 「薬は全部外国から来るのですから、ドルが上がれば、薬もみんな高くなります。どうか手助けしていただけないものでしょうか」



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三浦大祐(57)=ブエノスアイレス州ビジャバジエステル市▽長崎市の自宅  世界中どこに住んでいようと被爆者であることには変わりありません。同じ悩み、苦しみを持っているはずです。南米は社会保障制度が十分でなく、医療機関も日本のように整っておりません。海外で生活している被爆者にも日本国内と同じ援護の手を差し伸べてほしいと思います。
善家クマ子(82)=ブエノスアイレス州モレノ市▽広島市宇品の陸軍被服廠(しょう)で作業中   一人で住んでいるので人様に迷惑をかけないようにと神経を使っている。それもいつまで続くことやらと心配です。

 外国では分からないことが多くて、息子に頼っていましたが、九八年に突然病気で亡くなりました。空手の先生をしておりました。この悲しみを乗り越えて行かねばと夫婦二人で励ましあって生活しておりましたが、主人も後を追うようにいってしまいました。

 アルゼンチンは良い国ですが、今、経済の悪化で暴動が起こり、仕事もなく、各家庭も戦々恐々です。被爆者の家は遠くて会うことはありません。寂しい限りです。私は被爆者の方と月一回くらいは寄り合えて食事もできていろいろと話し合えればといつも思っております。
小針ヨシ子(84)=コルドバ州ビジヤカルロスパス▽詳細記入なし  今アルゼンチンが大変です。何もかもが必要なのですが、被爆者は年も取っているし、体も弱くなります。先立つものは薬と医者です。私は一人で住んでいます。恩給で生活していますがわずかです。今は薬も買えなくなりました。日本は年をとった人を大事にみてくださるけどアルゼンチンはその反対です。粗末な扱いをするのです。アルゼンチンに来て五十年になります。
                          
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