「終戦で外国人」は不合理 ◆ 仲間のため闘い続ける
福岡高裁で係争中の元徴用工 李康寧さん(74)=韓国・釜山市 |
「日本は創氏改名を強制して日本人として扱いながら、終戦以降 は外国人だと突き放す。それでいいのか」。下町にある韓国原爆被
害者協会釜山支部。無効になった被爆者健康手帳を無念の思いで見 つめる。
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北九州市に生まれた。両親は大正末期、日本に渡っていた。「木 村康寧」の名で育った。九州高等経理学校を卒業し、一九四三年に
徴用令状を受けて長崎市の三菱兵器工場へ。寮と工場を往復する生 活を続けた。八月九日は夜勤明けで、寮の部屋にいた。
幸い無事だったが、寮は全壊。縁側にいた四人の寮生はあお向け で即死していた。死体がいっぱいの避難所で、けが人の搬送を手伝
った。丘の上から見ると、長崎の街は炎に包まれていた。
友人や寮母の家を転々とした後、原爆投下前に韓国に戻っていた 両親のもとに引き揚げた。「ハングルはほとんど分からない。人間
としての価値がないように感じた」。釜山で紡績会社に職を見つけ て懸命に働き、六人の子どもを育てた。
裁判を起こすきっかけは、一九九四年の渡日治療だった。糖尿 病、ぜんそくと体調を崩し、日本での治療を勧められた。長崎市内
の病院に入院すると、月額三万円の健康管理手当を三年間支給す る、との市長の証書が届いた。
しかし三ケ月間の治療を終えて帰国すると、手当の入金は止まっ た。長崎市に電話した。「帰国したから無効になりました。手当が
ほしいなら日本に住んでください」と言われた。
「証書には『日本を離れたら支給しない』とは書いてなかった。 納得できなかった」。市に支払いを求める要請書を出したが、却下
された。県と国に相次ぎ審査請求しても結果は同じ。十分な説明 は、なかった。
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「解決するには裁判しかない」。九九年に長崎地裁に提訴し、法 廷では「日本の被爆者と同等の扱いが念願。日本の不合理を正そう
と裁判をしている」と訴えた。
判決は昨年十二月。裁判長は「在外被爆者のみに不利益になるよ うな限定的な解釈はすべきでない」と、訴えを全面的に認めた。
喜びもつかの間、国は福岡高裁に控訴した。弁護士からは「健康 に注意して六、七年は頑張って」と激励される。自らへの手当支給
を求めて始めたが、今では「在外被爆者全体のため」という使命感 が強い。
「最高裁まで続いたとしても、最後の最後までやり抜くつもりで す」 |
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無効になった被爆者健康手帳を手に無念さをにじませる李さん(釜山市)
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