移民も同じ被爆者なんよ ◆ 進む高齢化 渡日は困難
広島地裁に提訴した在ブラジル原爆被爆者協会会長 森田隆さん (78)=サンパウロ市 |
取り出した手帳に、赤い斜線が目立つ。「また一人また一人と死 んでいくんよ。悲しいねえ」。協会を設立した十八年前から、南米
で暮らす被爆者が判明するたび、連絡先と被爆状況、生年月日を記 してきた。最近、新しい名前より、赤を入れる憂うつばかり増え
る。
今年三月一日、被爆者援護法の適用による健康管理手当の支給な どを求め、国と広島県を相手取り広島地裁に提訴した。
心筋梗塞(こうそく)で倒れたのは、その半月前。生死の境をさ まよった。意識は戻ったが、同じ集中治療室で息を引き取る人たち
を見た。「生きているうちに、南米の被爆者の願いをかなえなくて は」。手帳に引く赤の重みをあらためて思った。裁判にかける思い
が、いっそう強まった。
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一九四五年八月六日、爆心地から西へ一・三キロの旧山手町(西 区)。憲兵として防空ごうの仕上げ作業中だった。背中などに大や
けどを負いながらも、爆心地に近い本川沿いで、被爆した朝鮮人皇 族李〓公殿下を見つけ、宇品まで送り届けたという。自身は三日後
に動けなくなり、広島県大野町の陸軍病院に入院した。翌年、白血 球が急に増えた。「原爆ブラブラ病」の症状も出た。
「遠く離れたって、あの日は忘れられんよ。どこにいても同じ被 爆者なんよ」。倒れて以来、しゃがれて戻らない声で、日本同様の
支援がない理不尽さを訴える。
ふに落ちないと言えばもう一つ。自分たちブラジルの被爆者の多 くは戦後の混乱期、人口過剰を防ごうとする国の移民奨励策で、被
爆の後障害の危険など何も知らされないまま、故郷を離れた。
その故郷の政府はどうして今、渡日治療が主体という、自分たち がさほど望まない政策を打ち出すのだろうか。「せっかくの皆さん
の税金。私たちが何を求めているか把握し、無駄にしてほしくな い」。同じ日本人。でも、支援策は中途半端。割り切れなさと申し
訳なさが、妙に入り交じる。
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ブラジルから日本への飛行時間は最短でも二十四時間。直行便の ない南米のほかの国なら、なおさらだ。空港までの移動もひと苦労
する地域が多い。「帰国治療から戻って亡くなった人も、実は多い んです」
民間保険が中心のブラジルでは、被爆者は加入を拒否されたり、 高額な掛け金が必要だったりもする。保険がきかなかった今回の緊
急手術代は、ざっと十二万レアル(約六百万円)かかった。
サンパウロ市の一角、自らが経営する雑貨店「スキヤキ」内に、 協会の事務局はある。いつも手紙や電話で遠方に住む被爆者の安否
を気遣い、病み上がりを忘れさせるほど軽快に動き回る。そんな姿 に賛同し、ブラジルの十人が同様の提訴に踏み切ろうとしている。
【編注】〓はかねへんに偶の字の右側を書きますが、JISコー ドにないため表示ができません。 |
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「母国相手に訴訟などしたくないが…」。やるせなさで声を詰まら せる森田さん
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