| 広島のどこかで
 
   その1  
 
 
    あきのみやじまの大とりいの下に、あさりの学校がありました。大とりいの下は、みちしおになると、海の水がまんまんとよせてきます。ひきしおになると、向かいの岸からシカたちが、とびはねてわたってくるほど干あがってしまいます。
  このあたりは、あさりがよく育つことでも知られていました。だからしおがひくと、ゆだんができません。いつもあさりを採りにくるおだわらのじいさまには、とくに気をつけました。
  大とりいの石台の下で、あさりの子どもたちを見まもっているのは、さしわたし八センチもある大あさりのひげじいでした。せなかには、木のねんりんのようなすじが何本もできています。ひげじいのまわりには、きょ年生れたばかりの三センチほどのあさりたちがすなにもぐるれんしゅうをしています。
  「ほいきた、おだわらのじいさまじゃ」
  ひげじいのあいずで、あさりの子どもたちは、いっせいに、足をするどくとがらせて、ズズズッと十五センチももぐりこみます。
  「わしからにげようたって、むだなていこうよ」
  おだわらのじいさまは、とくべつに刃わたりの長い貝ほりシャベルで、あさりが水をふきだす小さなあなを見つけては、ぐさり、ぐさりとすなをほりおこしていきます。うんわるく、ほりあてられて
しまう子どももいます。
  ほかの子どもたちは、じっとすなの中でいきをころして、じいさまが立ち去るのを待ちます。
  「ほんにこのごろは、こまいのしかおらんのう」
  貝ほり名人のじいさまは、そのうちあきらめてかえっていきます。大あさりのひげじいはむねをなでおろしました。
  しおがみちはじめました。大野の瀬戸のうきとうだいに、あかりがぽっとともりました。
 |