「ハンフォード核施設などが閉鎖される中で、ここの核施設の役 割は増している」と話すチャールズ・ジャーニガンさん(オーガス タ市) |
クレーン・コントロール室で、画面に映し出された作業の様子を 見ながらクレーンの遠隔操作をするオペレーター(防衛廃棄物処理 施設) |
ガラス固化体の放射性廃棄物が詰まった長さ約3メートルのキャ ニスター(中央部の容器)。シールド装置で上部の「口」が密封さ れた後、貯蔵所へ運ばれる(防衛廃棄物処理施設) |
50年代の操業開始から70年代まで、低レベル放射性廃棄物が捨 てられた約1平方キロの投棄場。89年までに汚染処理をしたとい う。遠くに見える建物は、プルトニウム汚染物質の保管所である (Fエリア) |
1955年に稼働し、85年に閉鎖されるまでプルトニウム製造の ための使用済み核燃料を提供し続けたC原子炉(Cエリア) |
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難物 廃液のガラス固化 ■ 半世紀 作業者むしばむ
サウスカロライナ州エイケン市にあるサバンナ・リバー・サイト 核施設の「防衛廃棄物処理施設」(DWPF)運営担当のタミー・ レイノルズさんは、身振りを交えて言った。 「スラッジ(汚泥状の廃物)を含んだタンク内の廃液は、このサ ンプル模型のようにコーヒー色をしている。この中からまず『塩 石』と呼ばれる比較的低レベルの放射性物質を分離。残りの高レベ ル分をガラス固化してステンレス製のキャニスターという容器に詰 めて保管している」 レイノルズさんが言う「防衛廃棄物」とは、使用済みの核燃料棒 から、兵器用プルトニウムやトリチウムを取り出す際の再処理過程 で生まれた高レベル放射性廃液である。「マンハッタン計画」の時 代からプルトニウムを生産してきたハンフォード核施設(ワシント ン州)が、地下タンクに抱えるストロンチウム90やセシウム137 などの膨大な高レベル放射性廃液とほぼ同じ物質である。 「核兵器」という「防衛」のために生まれた副産物だから「防衛 廃棄物」と名づけられているのだ。
「安全上」の問題から八八年までにすべての原子炉が閉鎖され た。その間に二つの再処理施設から約三十六トンの兵器用プルトニウ ムが生産され、別の化学分離施設から約二百二十五キロのトリチウム が抽出された。 それに伴う高レベル放射性廃液は、半地下状態の五十一個の巨大 タンクに貯蔵された。 「現在使用されているタンクは四十九個。全体の廃液量は三千四 百万ガロン(約一億二千八百万リットル)、放射能量にして約四億八千万 キュリー(約千八百万翼xクレル)ある」 レイノルズさんはたんたんと説明した。が、その放射能量はチェ ルノブイリ原発事故時に放出された際の実に九・六倍。ハンフォー ドよりも廃液の量ははるかに少ないが、放射能量は二倍余にも達し ている。 「固体にして保存しても放射能量そのものが減じるわけではな い。しかし、今のままではやがてタンクが老朽化して地下に漏れる 心配がある。より安全な保管方法として、この方法を選択してい る」 ハンフォードの地下タンクからは、すでに大量の放射性廃液が漏 れて、一部は地下水にまで達している。サバンナ・リバー・サイト でも、閉鎖された二個をはじめ十六個の一重タンクのうち九個か ら、六〇年代に漏出が確認されている。「でも、それはごくわずか な量。修復後はどれも漏れていない」とレイノルズさんは言った。 一日四交代で十九人が操作する「クレーン・コントロール室」。 廃液にガラスを加え、一〇〇〇度以上に熱して生まれるガラス固化 体。長さ約三メートル、直径約〇・六メートルのキャニスターへの 充填(じゅうてん)…。とき折、放射線をオイルなどで厚くシールドした のぞき窓から見える内部は、複雑に入り組んだ無数のパイプやロボ ットアームが炎に包まれるようにオレンジ色に輝いていた。 「一本充填するのに二十五時間。年間約二百五十本のペースで作 業が進んでいる。タンクの廃液をすべてガラス固化すると約六千 本。まだ二十年から二十五年はかかる」 DWPFに隣接する保管施設には、容器を含め重量約三トンのキャ ニスター二千二百八十六本が保管できる。まだ決まらない永久保管 施設ができるまでの一時保管だが、「『ホット』な物質なので、常 に冷却するなど細心の注意を払っている」とレイノルズさんは強調 した。 半世紀にわたるサバンナ・リバー・サイト核施設での生産活動が 生み出した廃棄物は、むろん高レベル放射性廃液だけではない。中 ・低レベルの放射性廃棄物や化学物質による汚染は、広範である。 五百十五カ所に及ぶ固体廃棄物投棄場、汚染された地下水は十一 カ所、約五百三十億リットルにも達する。土壌や川、地下水の主な汚染物 質はトリチウム、ストロンチウム90、セシウム137、プルトニウ ム239、水銀、鉛などだ。 レイノルズさんに代わって、環境保全復興プログラム責任者のデ ィーン・ホフマンさんが、汚染処理に取り組むいくつかの場所を案 内してくれた。 「本格的な除染作業は八九年ころから始まった。汚染の処理方法 は場所によってさまざまな方法を適応している。これまでに約二百 六十カ所の固形廃棄物処理場のクリーンアップを終えた。地下水も 全体の約30%に当たる四十億ガロン(約百五十一億リットル)の汚染処理をし た」 ホフマンさんは、汚染処理が着実に進んでいると自信を示す一方 で「しかし、やり遂げるのに何年かかるか分からない。気の遠くな るような作業だ」とも言った。 すでに閉鎖された原子炉などの解体は、まだ計画にすら上がって いない。核施設全体の年間予算約十六億ドル(約千九百二十億円)の うち、10%の一億六千万ドル(約百九十二億円)が、環境保全復興に 充てられている。「これにはDWPFにかかる費用は含まれていな い」とホフマンさん。 「私がここの核施設で最初に雇われた。放射能の危険も知らされ ないで働いているうちに、どれだけ被曝したか分からな い。髪の毛が抜けたこともある。十年以上前から、慢性気管支障害 で酸素ボンベが離せない」
ジョージア州のツインシティー市から、妻の運転で二時間かけて やってきたというロバート・イーリーさん(78)さんが最初に口火を 切った。 「配管工だった父親が七八年に五十二歳で脳腫瘍(のうしゅよう)で 死んだ。劣悪な作業環境で働いていても、当時は秘密を守るために 家族にも話せなかった」と娘が訴える。 「われわれは冷戦戦士として働いて病気になった。冷戦が終わっ た今は政府が助けてくれるのが筋だ」と年配の元労働者。「アスベ ストを体に吸入してがんになった」と現役の四十がらみの男性…。 午後七時から三時間余、エネルギー省の役人がひたすら聞き入る 中で続いた公聴会。次々と訴えるその姿は、昼間に核施設を視察し て受けた印象とはあまりにもかけ離れていた。 「労働者の健康や環境が、どれだけないがしろにされてきたかと いうことだよ。特に冷戦期はね…」。翌日、ジョージア州オーガス タ市内の事務所で会ったチャールズ・ジャーニガンさん(58)は、昨 夜の公聴会の様子をこう解説してくれた。 電気技師として七一年から八年間自らも核施設で働き、その後は 労働組合の指導者として契約企業の下で働く人たちとかかわってき た。九八年からは、病気になった元労働者や、すでに死亡した人た ちの遺族が、ベリリウムによる疾病などクリントン政権時代に政府 が新たに設けた補償措置が受けられるように相談に乗っている。 「私のところには、現役の若い男女もやって来る。彼らは核施設 内の医師たちを信用していない。しかし、仕事で病気になったとは なかなか口にできない。解雇される恐れがあるからだ」 ジャーニガンさんは、自身が働いていたころに比べ、作業環境が よくなっていることを認める。その上で彼はこう続けた。 「比較的楽な仕事、いい給料…。健康な間はいいことずくめ。と ころが、知らない間に健康を失ってから気づくのだよ。放射性物質 や化学物質を扱うこと自体が危険な作業であるということをね。そ の危険を労働者に十分伝えていないのは、昔も今もあまり変わって いない」 いちいち相談例を挙げて説明するジャーニガンさんの話には、説 得力があった。 |
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