「プルトニウムは微量でも体内に入れば極めて危険。完全な除染 を求め続ける」と話すリロイ・ムーアさん(ボールダー市) |
核施設内の工場配置図を前に「2006年までに汚染処理作業を 終えるのは不可能」と強調するジム・ケリーさん(ウエストミンス ター市) |
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解体・除染 道のり遠く ■ 危険な作業 経費も莫大 ロッキー山脈の東方に位置するコロラド州の州都デンバー市から 北西へ二十五キロ。雄大な景観が広がる標高約千八百メートルの平 原で、史上初の試みが続けられていた。大規模な核兵器工場の解体 と、放射性物質などで汚染された敷地内外の土壌や地下水を除染 し、元の自然を復元しようとの取り組みである。
「取材ノートはいいけど、カメラやテープレコーダーの持ち込み は禁止です」 エネルギー省との契約でこの事業に当たるカイザーヒル社広報担 当のジェニファー・トンプソンさん(34)は、いかめしい口調で言っ た。「ようこそロッキーフラッツへ」のサインを掲げた西ゲート横 の駐車場。銃を腰にした屈強な警備員から厳重な身体検査を受けた 後、ようやく敷地内に足を踏み入れることができた。 「ロッキーフラッツでは、一九五二年の稼働から八九年まで、ハ ンフォード核施設などから搬入されたプルトニウムを加工して、主 に水爆の起爆装置のプルトニウム・ピットを生産してきた。でも、 今は二〇〇六年末を目標にすべての施設の解体、除染作業に取り組 んでいる」 大型ワゴン車をゆっくりと走らせながら、トンプソンさんは説明 を始めた。 敷地面積二十四平方キロ。うち生産工場などがある「産業ゾー ン」は約一・六平方キロ。その中に大小百以上の建築物がある。 「最大の課題は、北側に集中している主要な五つのプルトニウム 工場をどう安全に解体するか。私たちはすでに三年がかりで、プル トニウムの研究開発などに利用してきた『779ビル』を取り壊し た。残りの施設もできると確信している」 「工場内にあった高濃縮プルトニウムやウランの多くは、すでに パンテックス核施設(テキサス州)やロスアラモス国立研究所(ニ ューメキシコ州)サバンナ・リバー・サイト核施設(サウスカロラ イナ州)などに搬出した。が、工場内にはまだ多くの核物質が残っ ていて危険」とトンプソンさん。 米ソの核軍拡競争が激化した五〇年代以後、常に生産が優先され た工場内は、機械設備だけでなく、床や天井までもプルトニウムや ウラン、ベリリウムなどで汚染されていた。 最初に完成した「771ビル」で起きた五七年の火災。その後の 生産拠点となった「776・777ビル」で発生した六九年の火 災。いずれもプルトニウムの自然発火が原因である。二度の大火災 とも、風下に当たるデンバー周辺にまでプルトニウムが放出された とされる。だが、いまだに放出量などの実態は明らかにされていな い。 それ以外にも小さな火災や放射能漏れ事故は頻繁に起きていた。 その都度、除染作業が繰り返され、操業を続けてきた。が、八九年 六月には連邦捜査局(FBI)が「環境違反容疑」で強制立ち入り 捜査をする異例の事態に。そして、その年の十二月には、操業停止 に追い込まれた。 「九〇、九一年と他の契約会社が再操業を目指して修復作業を続 けた。でも、九二年の一般教書演説でブッシュ元大統領がトライデ ント型ミサイル用の核弾頭生産中止を発表した時点で、ロッキーフ ラッツの閉鎖が決定的になった」 トンプソンさんによると、その後にエネルギー省と契約を交わし たカイザーヒル社が、施設の解体と除染作業を請け負うことになっ たという。〇六年末の作業完了目標までにかかる年間費用は約六億 五千万ドル(約七百八十億円)。一日二億円強である。うち、ほぼ半 分はテロ防止などのための警備費用に充てられている。 「作業が随分遅れていると聞いていますが…」。こう尋ねると、 トンプソンさんは「わずか一年ほどの遅れ。まだ十分取り戻せる」 と強い自信を示した。 「二〇〇六年までの作業完了?可能性はゼロだね。もう少し年月 がたてば『もう五年、もう十年』というようになる。〇六年という のは、そうしないと議会が予算を認めないからだ」。トンプソンさ んとの会話の内容を伝えると、ケリーさんは悪い冗談でも聞くよう に一笑に付した。 ワイオミング州の小さな炭鉱町で育ち、高校卒業後四年間の海軍 兵役を経て、五六年に兄の働くロッキーフラッツ核施設に職を求め た。九五年に退職するまでの四十年近い勤務のうち二十七年間は、 放射線防護を担当。特にプルトニウム・ピットなどを造る工場の放 射線レベルを測定してきた。 「五七年と六九年の火災では、当時の労働者が身の危険を冒して ブラシなどで除染に当たった。六九年のときは二年間、二十四時間 態勢での除染作業だった。それでも完全に取り除けたわけではな い。完全防護服でも、場所によっては一時間以内で作業員を交代さ せなければならない。危険な作業だっただけに、これらのビルの解 体は容易ではない」 九四年、当時のエネルギー省のヘイゼル・オレアリー長官は、ロ ッキーフラッツのプルトニウムの残量について「千百九十一キログラム の誤差がある」と発表した。三〜五キログラムのプルトニウム・ピット に換算してほぼ四百個から二百四十個にも相当する。 「配管の長さだけでも五十マイル(八十キロ)以上あるんだ。その配 管の中にどれだけのプルトニウムが残っているかだれにも分からな い」とケリーさんは指摘する。 労働組合の委員長を十七年余務めた彼は、常に契約企業の経営者 に安全措置を求めてきた。だが、利益のみを追求する経営者らに主 張は通じなかったと述懐する。今では彼自身、前立腺がんと皮膚が んに侵され、手術を受ける身である。 「特に操業当初から七五年まで続いたダウ・ケミカル社はひどか った。プルトニウムなどで汚染された廃液をドラム缶に詰めて戸外 に放置し、穴があいて地下に浸透していても対策を立てようともし ない。溝にも捨てる。その結果、地下水や近くの湖まで汚染してし まった」 「問題は汚染ビルの解体だけではない。ビルの下の土壌には何キ ロものプルトニウムがあると言われている。エネルギー省とカイザ ーヒル社が言う土壌の汚染除去は、われわれが要求している基準よ り約二十倍も高く、完全な除染とはほど遠い」 神学者のムーアさんは、自宅の書斎で穏やかに言った。七〇年代 後半から非暴力主義に徹して反核運動に加わり、ロッキーフラッツ 核施設の閉鎖を求めてゲート前で断食を敢行したことも一再ではな い。八三年、六人で始めたセンターのメンバーは、今では約千五百 人を数えるまでに広がった。 「核施設の閉鎖は、デンバー都市圏の約二百五十万市民にとって は一歩前進。しかし、広大な汚染大地を核施設ができる前のクリー ンな状態に戻すには、計画以上の莫大(ばくだい)な税金と時間を 費やすようになるだろう」 ムーアさんたちは、住民や作業員を被曝から守り、厳し い基準で除染作業を進めるように監視の目を強めている。 が、その一方で彼の失望と憤りは強まるばかりである。八九年以 来中止されていたプルトニウム・ピットの生産が、ロスアラモス国 立研究所で始まろうとしているからだ。ムーアさんは無念の胸中を 吐き出すように言った。 「わが政府は核開発によってどこまで環境を汚染し、新たなヒバ クシャをつくろうとしているのか。軍部や政治指導者をはじめ、ア メリカ人の多くはまだ、核開発の負の歴史から何一つ学んでいない …」 |
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