ヒロシマ原点の記録1950
'98/8/1
「これは、五年前の広島においての痛ましい体験のいつわりなき記録の一部である」。広島市が占領期の一九五〇年に募り、十八編を収めた「原爆体験記」の「刊行のことば」である。市公文書館に全編残されていた応募体験記は、全百六十五編。生死のふちに陥り、親や子ども、学友、同僚を奪われた人たちがつづった計千五百枚の手書き原稿は、核兵器が人間にもたらすものを克明に伝える。今も大半が未発表の「原爆体験記」。ヒロシマの原点と言うべき記録を整理し、概要を紹介する。「刊行のことば」はこう続く。「あらゆる苦悩と悲しみのどん底に生き抜き、そして立ち上がった人達の聖なる手記」と。
(
報道部・西本雅実、瀬良友和
)
原子爆弾体験記 馬場 初江
被爆当時、進徳高女教諭。45年春から、爆心地0・7キロの福屋百貨店7階にあった広島貯金支局分室に動員学徒とともに出勤していた。東京都町田市で健在。74歳。
被爆直後の爆心地2.3キロ、広島市中区の御幸橋西詰め。広島高師学生で、現在は長崎市在住の愛宕八郎康高さん
(70)
は体験記にこう残す。「御幸橋から河岸伝いに進んだ。
(略)
ただ不気味な炎が燃え放題に民家をなめる…」。写真は松重美人氏撮影
(1945年8月6日午前11時すぎ)
広島市の原爆体験記の執筆者一覧
名前
(
被爆時の年齢
)
▽被爆時の職業▽爆心地からの距離・被災状況や記述概要。400字詰め原稿枚数。
(敬称略)
50年・65年版の体験記収録分
65年版の体験記収録分
未 収 録 分