50年・65年版の体験記収録分

名前被爆時の年齢▽被爆時の職業▽爆心地からの距離・被災状況や記述概要。400字詰め原稿枚数。(敬称略)

◆一般◆◆児童・生徒◆
野村英三(47)
▽広島県燃料配給統制組合事務員▽170メートルの燃料会館(平和記念公園レストハウス)地下で、奇跡的に助かる。10枚。

奥村昌司(22)
▽応召中▽0・8キロの中区基町の広島連隊区司令部。9枚。

北山二葉(33)
▽主婦▽家屋疎開作業に出た1・7キロの中区鶴見橋付近。夫(40)が死去。収録では原文最後の「国際情勢のひっ迫した今日、願はくは、原爆の犠牲により平和のために散った尊い二十万人の命が決して無駄でなかった事が世界中に示されるように―」と、原爆使用の可能性があった朝鮮戦争に言及した部分が欠落。16枚。

喜多輝子(35)
▽広島市職員▽1キロの市庁舎。11枚。

金行満子(28)
▽無職▽0・7キロの中区平野町の自宅。16枚。

杉本直次郎(55)
▽広島文理科大教授▽1・7キロの段原町(南区)の自宅。16枚。

伊達克彰(不明)
▽教員▽1・5キロの中区中広町の中学校近く。24枚。

橋本くに恵(25)
▽広島県地方木材勤務▽出勤途上1・7キロの南区大須賀町。15枚。

三木正(34)
▽不明▽1・7キロの中区の舟入病院で息子を介護中。両目を失明。14枚。

土井貞子(21)
▽軍需監理局勤務▽0・7キロの福屋百貨店2階にあった勤務先。12枚。

手塚良道(55)
▽広島文理科大教授▽2キロの中区白島中町の自宅。8枚。

檜垣兵市(52)
▽会社員▽2・5キロの西区己斐町にあった三菱重工広島製作所事務所。中学生の二男を失う。12枚。

宇都信(52)
▽広島陸軍共済病院庶務・衛生材料課長▽3・2キロの南区の病院内(県立広島病院)。36枚。

不島勝文(21)
▽広島工専(広島大工学部)学生▽2・1キロの中区の校舎。8枚。
前田正弘(7)
▽1・7キロの西区三篠町の寺の分散教室。「八月十五日終戦となった。僕は戦争に負けたことがくやしくてならなかった。必ず勝つと思っていたのに。家を焼かれ、お姉さんを失ったと思うと情けなかった」が欠落。8枚。

佐々木光憲(9)
▽12キロの戸山村(安佐南区沼田町)に疎開。父が死去。9枚。

門田武(15)
▽4キロの南区の宇品造船所で動員作業中。冒頭の「“原爆の投下即ち平和への道”こんな風に軽々しく口にして申されるものではない」など2枚と、最後の2枚が欠落。14枚。

益信之(16)
▽動員先の宮内村(廿日市市)から自宅がある中区へ。16枚。


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