中国新聞社

'98.11.24
被爆地の役割 自己点検

伊藤 一長氏
長崎市長
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 いとう・いっちょう1971年、財団法人長崎市開発公社職員。長崎市議2期、長崎県議3期務めた後、95年5月、長崎市長に就任した。53歳。
 分かりやすさ追求

 五月にインド、パキスタンが世論の反対を押し切り、相次いで核実験を強行したため、結果として時宜を得た会議になる。核拡散が懸念される中での軍縮会議となり、世界的にも注目を集めるだろう。

 過去九回の軍縮会議は、議論に非公開の部分があったり、内容が専門的過ぎたりして、批判もあった。その反省から、国連サイドに働き掛けて、今回はすべての議論を市民に公開することにした。

 テーマも核兵器廃絶に向けた取り組みに絞り、市民に分かりやすくするよう工夫した。多くの被爆者、市民、若者たちに参加を呼び掛けているが、開会式には約千五百人が参加する予定で、関心は高い。

 インド、パキスタンの核実験が、世界に与えたインパクトはいくつかある。一つは、核拡散はどの国でも可能だと、世界に印象づけたことだ。もう一つ、だからこそ、何としても核軍縮や包括的核実験禁止条約(CTBT)発効に向けて世界が取り組まなくてはいけない、という国際世論が高まった、とも言える。

 そこで大事なのは、被爆地、被爆国の役割だ。

 さらに実相発信を

 ナガサキはヒロシマと一緒に、核兵器と人類が共存できないという体験を世界に発信してきた。しかし残念ながら、世界に被爆の実相、核兵器の脅威は十分に伝わっていなかった。被爆地としてはこの軍縮会議を、その反省と、今後さらに行動していくという決意の場にしたい。

 今井隆吉・元国連軍縮大使や国際政治の専門家たちによる「平和推進専門会議」を市長の諮問機関として立ち上げ、十三日に初会合を開いた。遅きに失した感もあるが、今後の被爆地の在り方を理論づけていきたいという狙いからだ。

 戦後五十三年過ぎ、原爆、戦争を知らない世代が七割を占める。この世代にどう訴え、どう参加してもらうか、このあたりの助言もしてもらうつもりだ。

 安保の議論も必要

 もう一つ、核兵器廃絶を論じる場合に考えなくてはいけないのは、日本が米国の核の傘からどう脱却していくか、という問題だ。長崎市が送った核実験の抗議文に対するインド政府の返書も、核の傘の問題に触れていた。

 日米安全保障条約にもかかわる問題だし、世論をまとめるのに時間もかかるだろう。しかし、被爆国が真剣に議論しなければ、国際的理解は得にくい。当面の大きなテーマだろう。

おわり

 このインタビューは報道部・藪井和夫、山根徹三、井上浩一、東京支社・江種則貴が担当しました。

核なき世界へ 10回目の国連軍縮会議

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