'98.11.23 |
被爆国の痛み 感性に訴え
三回目の一九九一(平成三)年京都会議から毎年参加している。軍縮大使や研究者、平和運動家、マスコミなどさまざまな分野の人が一堂に会する意義を高く評価しているからだ。 自由討議を持ち味とし、宣言やまとめを出さない会議の成果は、数字や明確な形では出にくい。しかし、平和運動家が、報告に立つ各国の大使らに直接意見をぶつけ、批判できるのは大きな意味を持つ。それぞれの国の政策決定にも間接的にかなりの影響を与えているのではないか。 第一回会議が開かれた八九年は、冷戦が終わる時期に当たる。それ以来の核軍縮の道のりを振り返ると、米国とロシアの第二次戦略兵器削減条約(START2)は予定より早く核兵器の廃棄が進み、包括的核実験禁止条約(CTBT)も採択された。軍縮会議と歩調を合わせるように、世界的に軍縮が進んでいる。 先行的役割果たす また、日本の軍縮会議で兵器用核分裂性物質生産禁止(カットオフ)条約の論議が始まったのは九〇年代初めだった。公式の場である国連ジュネーブ軍縮会議で取り上げられたのは九四年。この点から見ても先行的役割を果たしているといえよう。 被爆国、とりわけ被爆地の広島、長崎で会議を開く意義は大きい。会議に参加する大使や軍縮実務者が原爆資料館を見学すれば、彼らに核兵器のマイナス面、非人道性を印象づけることが出来る。 非政府組織(NGO)が主導的役割を果たしたといわれる対人地雷全面禁止条約を思い出してほしい。成功した理由の一つは、地雷に遭った子どもたちの苦しみを広く世間に知らせ、感性に訴えたからだ。原爆資料館の展示が、多くの参加者の心を動かしてほしい、と願う。 テーマ拡散を懸念 ここ数年のテーマ設定は気になる。東アジアの安保から通常兵器や小火器まで広げすぎている。昨年の札幌会議などでは、核専門家ではなく、安保一般の専門家が多く参加していた。議論が分散、拡散した感は否めない。 今年は五月にインドとパキスタンが核実験を応酬したこともあり、今回は核問題に絞って議論するようだ。原点に戻った。ただ、論議が「核不拡散」に集中しすぎると、ゴールを見失う。目標をきちんと「核軍縮」に置き、印パ問題に危機意識を持ちつつ真剣に討議する場であってほしい。
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