中国新聞社

'98.11.22
輪広げ世論喚起の場に

山田 中正氏
元軍縮大使
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 やまだ・ちゅうせい原爆投下時、広島市の旧広島高師付属中2年だったが、広島県北にいて難を逃れた。1954年、外務省に入り駐インド大使など歴任。現在、早稲田大法学部教授。67歳。
 背景に交渉の停滞

 日本での国連軍縮会議が始まった一九八九年当時、軍縮大使として政府間交渉に当たっていた。東西冷戦が終えんを告げようとし、核状況に変化が訪れるとの期待が高まっていたころだ。しかし、当時のジュネーブ軍縮会議では、生物化学兵器の禁止交渉は動いていたが、核兵器関連は停滞していた。

 こうした状況を打開したいとの思いが、会議の日本開催を提唱した背景にあった。核大国の軍縮当事者を被爆地に連れていく狙いもあった。いきなりでは刺激的なので、最初は京都を選んだのである。

 軍縮は時折、大きな波のように動く。政治家が決断した時か、世界の世論が盛り上がった時だ。例えば大気圏内の核実験を禁止した部分核停条約(一九六三年)は世論のうねりを背景にし、昨年の対人地雷全面禁止条約も人道活動家の活躍で誕生した。地雷をきちんと管理している国は、もともと防衛的兵器だと考え、廃絶しようとの発想は出てこない。政府関係者だけの交渉では、ドラスチックな展開は生まれない。

 NGO代表増やせ

 今、世界秩序は大きく変わった。しかし、それに軍縮が伴っていない。今回、国連から今年の長崎開催へのアドバイスを求められた時、私は参加者の顔触れを研究者や政府関係者ばかりでなく、非政府組織(NGO)の代表らをもっと増やすべきだ、と話した。新たな秩序を模索する世界に対し、きちんと世論喚起できるリーダーたちが、論議の輪に加わる必要がある。

 軍縮会議を被爆国日本で開催する意義は大きい。軍縮の中心テーマは、常に核問題でなければならないと考える。だが、現在の各国の国連代表の顔触れは(核使用の危機があった)朝鮮戦争も知らない世代が大半を占めている。核をめぐる論議を絶やしてはならない。すぐさま目に見える進展はないにしても、やらなければ風化してしまう。

 コンセンサス困難

 現在、国連国際法委員会の委員として、慣習法として発達した国際法の法典化に取り組んでいる。また被爆地が、核兵器を明確に否定する核兵器禁止条約の制定を願っていることも承知している。軍縮会議を言いっ放しの場にせず、そうした法制定など具体的な目標を掲げてはどうかとの議論もあろうが、コンセンサスづくりは至難だ。長時間かけて中途半端な結論となるよりは、現在の自由かったつな論議をより活発化させたほうがよい。

核なき世界へ 10回目の国連軍縮会議

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