'98.11.20 |
被爆地開催 大きな意義
二年前、スイスのジュネーブで、核保有国など八カ国の軍縮大使に会った。包括的核実験禁止条約(CTBT)交渉の促進を訴えるためだ。かつて広島を訪れた中国などの大使が「あなたの訴えは人間的には理解できる」と言ったのが心に残っている。 彼らは常に、自国政府の立場を主張する。だが、あの時の言葉は、国を超えた、人間としてのメッセージだったと思う。国の立場を離れ、個人としてヒロシマと向き合う。日本で、特に被爆地で外交官らが軍縮を論議する会議の意義は、そこにあるのではないか。 広島市はこれまでに三回、開催地として会議の舞台を提供した。軍縮に携わる人たちが原爆資料館を見学し、被爆地で核問題を考えることに意味があるからだ。本来は国がやればいいことだが、広島や長崎には核兵器のない世界をつくるという都市の理念がある。財政負担は大きくても、出来る限り協力するのが使命だ。 体験記聞く場も設定 被爆地で開く場合、被爆者の声を聞く機会も設けられる。外交官も生身の人間だ。原爆で人間にどれほどの悲劇をもたらしたか、生の声として聞けば心を動かされるだろう。知識として持っている原爆の破壊力や被害とは異なるに違いない。 日本での軍縮会議開催は、竹下登元首相が提唱した。被爆国だからこそ実現した。被爆国として核軍縮のリーダーシップをとりたいとの思いや、核兵器廃絶という目標があって始めたことだ。会議のテーマが、その時々で最も関心のある小火器や地雷に移ることはあっても、核問題が忘れられているわけではない。 外交への影響確信 韓国と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)のように、国交がない国同士の参加者が同じテーブルに着くこともある。こうした積み重ねが平和な世界を築くために役立つ。 過去の会議の成果が国際政治にどう生かされたか。これは参加した個人の意識の問題だけに、はっきりと分からない。しかし、長い目で見れば、それぞれの国の外交政策に何らかの影響を与えると信じている。 昨年の札幌会議に合わせ、広島市は札幌市と共催の原爆展を会場近くで開いた。開催地が被爆地以外の場合、地元の自発的な動きが起きれば、要請に応じて今後も原爆展を開くケースがあり、ヒロシマ・ナガサキを多くの人に伝える機会が増える。
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