'98.11.19 |
停滞議論活発化へ一役
軍縮担当の国連事務次長として、日本開催を思いついた。目的は三つあった。まず、停滞していた国連総会やジュネーブ軍縮会議に活を入れること。政府代表による公式の場でなくても、学者や非政府組織(NGO)が意見を戦わすことで、論議を促す刺激剤にしようと思った。 二つ目は、被爆国日本が平和と軍縮に込める熱意を、海外に広げる好機であると考えた。 さらに、軍縮の実務に携わる人たちの課題を、日本の人にも知ってもらいたかった。日本の軍縮への願望が抽象的で空回りになっていると思ったからだ。 軍縮会議は自由な討論を優先するため、声明や決議は出さない。また、国家の安全保障にかかわる問題には、複雑な要素が入り組む。このため、軍縮会議が直接、世界の核軍縮を促進したり、国家の核政策を変えさせたとは言いにくい。しかし、三つの狙いは一定の効果を得られたのではないか。 例えば、九〇年の仙台会議では、軍需産業の平和転換に科学技術をいかに利用するか、を討議した。冷戦後をいち早く見越したと言える。 軍縮会議で、まず論議をし、反応をみて国連総会など公式の場での議論につなげる役割も持つ。いわば観測気球のようなものだ。 九一年の京都会議がいい例だ。当時の海部首相による通常兵器の国連登録制度創設の提唱に、各国が注目。地ならしをした上で、日本とEC十二カ国が同年秋の国連総会に共同提案して実現した。 承認と認識は違う 会議には軍縮専門家が集まり突っ込んだ論議を交わす。このため核兵器の存在を前提とした現実論に傾き、核兵器廃絶を願う被爆地の思いとずれているとの指摘がある。しかし、核兵器があることを認識するのと、承認するのは違う。軍縮会議と被爆地の願いは矛盾しているとは思わない。むしろ補強し合っているのではないか。 国際司法裁判所(ICJ)が九六年七月に出した「核兵器は一般的に国際法違反」との勧告的意見も同じことがいえる。被爆地はもどかしいと思うかもしれない。軍縮には長い時間がかかる。一歩前進ととらえ、粘り強く取り組むべきだろう。目標は高く掲げ、足元を見ながら進むことが大切だ。 広島平和研究所は、インドとパキスタンの核実験を受けて「核不拡散・核軍縮に関する東京フォーラム」を続けている。各国政府の立場から一歩でも踏み出せる提言をまとめたい。軍縮会議とも十分に連携をとり合うつもりだ。
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