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「ピカの村」苦難の道 川内地区慰霊祭で野村さん伝える '06/8/7

 国民義勇隊に動員された住民約二百人が被爆死し、「ピカの村」と呼ばれた広島市安佐南区の川内地区の慰霊祭が六日、平和記念公園内の「義勇隊の碑」前であった。原爆で夫を失った妻は、被爆直後は約八十人いたが、大半が亡くなり、今では、農業野村マサ子さん(85)だけが参列を続ける。

 野村さんは式典後、地区の住民が味わった苦難の歴史を地元の城南中の生徒約二十人に語り掛けた。「亡くなった家族の遺骨が見つからない人もたくさんいた。小さな子どもを背負って、死に物狂いで働きましたよ」。穏やかな語りに、生徒たちはじっと耳を傾けた。

 宅地化した川内では今、被爆の歴史を刻む家庭は少なくなった。「平和を望んで亡くなった人のことを忘れないでね」。野村さんは生徒たちとしっかり握手した。その願いを、三年生の柏原優美さん(14)は「家族につらい思いをさせる戦争の恐ろしさを未来に伝えたい」と受け止めていた。(石川昌義)

【写真説明】「死んだもんも地獄、生きたもんも地獄でした」。城南中の生徒たちに苦難の戦後史を語った野村さん(左から3人目)


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