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慰霊碑の写真あった ゲバラが1959年の広島を撮影 '06/7/27

 ▽キューバの研究所、広島の出版社に提供

 キューバ革命の指導者エルネスト・チェ・ゲバラが一九五九年に広島市を訪れた際に撮影した原爆慰霊碑の未公開写真を、広島の出版社「南々社」が、二十五日に発行した季刊誌「がんぼ」の特集で紹介した。遺品を管理するチェ・ゲバラ研究センター(キューバ)が「ヒロシマのために」と提供した。

 写真はモノクロで、男性が献花台を見ている様子を慰霊碑に向かってやや左側から撮っている。平和の灯(ともしび)は当時なく、今より小さかった平和の池も見えない。右奥には、広島市の東部復興事務所として使用されていた現在のレストハウスも写っている。

 ゲバラは現在のキューバ政権が誕生した五九年七月、親善使節団の団長として来日。政府要人との会談後、二十五日に広島市を訪問。軍隊式の挙手の礼をささげたという。写真はその後に撮影したとみられる。

 原爆の日を前に特集を組んだ「がんぼ」の西元俊典編集長(51)が、カメラマンでもあったゲバラに焦点を当て、センターに提供を頼んだ。

 この一枚のほか、畑を耕すゲバラが写った写真など六枚と、帰国後に執筆した文章「原爆の悲劇から立ち上がれ、日本よ」も送られてきた。西元編集長は「ゲバラが切り取った一枚の写真を通し、ヒロシマが世界に与える意味を問い直すきっかけが生まれれば」と話している。(小川満久)

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 エルネスト・チェ・ゲバラ(1928〜67年) チェは愛称。アルゼンチン生まれ。カストロ国家評議会議長と59年のキューバ革命を指揮。カストロ政権下で要職を歴任、南米ボリビアのゲリラ戦で死亡した。


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