広島市は、原爆投下直後に一万人もの被災者が運び込まれ、多くの人が亡くなった南区似島に建つ原爆死没者慰霊碑を移設、整備する。二十二平方メートルと狭く、地元住民らが追悼行事や平和学習のため広い場所の確保を求めていた。二年前の夏、推定八十五人の遺骨と遺品が発掘されたこともあり、市は被爆六十一年の「あの日」に間に合うよう作業を急ぐ。(林仁志)
移設先は、似島中グラウンドの一画にあり、現在地の北西五十メートル。広さは百五十平方メートルで、今月初めに新しい場所に碑を据え付けた。月内に説明板の設置や周辺整備などの作業を終える。
毎年八月初めに慰霊祭を開き、「8・6」前後には島外からも多くの人が供養に訪れている。平和学習に取り組む人も加わり、地元では以前から敷地の狭さが指摘されていた。二年前の発掘調査に携わった地元の会社社長、住田吉勝さん(54)は「昨年までは慰霊碑に近づけず、路上で手を合わせる人もいた。今年からは広い場所で静かに供養できる」と喜んでいる。
碑は幅二メートル、高さ一・二メートル。自然石に「慰霊」の文字を刻んでいる。市が一九七一年、近くの旧陸軍馬匹検疫所跡地を発掘調査し、推定六百十七体の遺骨が見つかったのを受け、翌年、建立した。似島には被爆直後に臨時野戦病院が置かれ、多くの原爆被害者を収容。絶命した被害者は島で火葬・埋葬された。
二〇〇四年夏にも、七一年調査の隣接地を調べ、八十五人分の遺骨と六十五品の遺品が見つかった。島に刻まれた原爆の記憶、戦争のつめ跡があらためて突きつけられ、市はこれまで以上に被爆体験を記憶、継承するための追悼、平和学習の場として、慰霊碑の整備を決めた。
【写真説明】移設先に据え付けられた似島の原爆慰霊碑
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