2002/2/10 目的地の山間の町に着くまで、本当にこの道でいいのだろうかと不安になる。人にも、犬にも会わない。道路地図を開いてみては、「うん、間違いない」と安心する。 行き先がはっきり示されていると、途中で何が起こっても、確認しながらやっていけるものだ。だが、先が不確かだと、不安でいっぱいになる。「闘病生活もちょうど同じだな」。車を運転しながら、そんな気がした。 会場となっている役場近くのセンターには、思いのほか早く到着。車を止めていると、私を招いてくださった皆さんに、笑顔で迎えられた。通された控室には、こたつがあった。「温泉宿に来たみたい」。うれしくなって、お茶をいただく。 どこの町でも住民の高齢化で、施策にさまざまな工夫が必要とされる。たとえ病気になっても、世代を超えて互いに理解し合い、支え合って、この地域で暮らしていこう―。そんな企画で、講師を頼まれたのだった。 参加者は、圧倒的に女性が多い。熱心に聞いてくださり、あっという間に九十分が終わった。質問の時間に、ある男性が手を挙げた。 「実は、弟ががんで重体なんじゃが、どんなふうに声を掛けたらええですかの。それを聞きとうて来たんですが」 「手や足をさすりながら、静かな声で言葉を掛けてあげてくださいね」 喜びや悲しみをともにしてきた兄弟としての感謝の気持ち、よく頑張ったことへのねぎらい…。耳は最期まで聞こえているといわれる。 「話し掛けて差し上げることで、そばにいるんだなと安心されると思いますよ」 話が終わり、元気そうな中年男性が進み出た。「自分も農業しながら、母をみとり、あなたの話の通りだと思った。そのことをいとこが書いてくれた本があるので、家から持ってくる」とおっしゃる。 ほどなく戻られて、その本と、お母さんの会葬お礼のはがきを見せてくださった。はがきには、九十歳で亡くなられたお母さんのサイン入りで、こうしたためてあった。「みんなに世話になった。また、あの世で会おう。さようなら さようなら」 帰り際、「私も前立腺(せん)がんを患った。お互い元気でおりましょう」と言って手渡してくれたのは、有機農法で作った黒米。昼ご飯は芋煮だったし、身も心も温まった。 |