中国新聞社

(39)お話に行く元気なお年寄りに脱帽

2002/2/3

 春はもうそこなのに、広島市内でも山あいとなると、みぞれ交じりの雪が舞う。

 このコラムを書いているご縁で、住民の方を対象に「がんへの向き合い方」などといったテーマで、お話をさせていただく機会がある。ほとんどが女性だが、男性もいらっしゃる。ほおを赤らめて、きっと寒い中を来られたんだろうなと思う。

 人生の先輩を前にして面はゆいが、自分の体験を話す。在宅看護の仕事をしているので、患者さんとの出会いを通して垣間見た、がん終末期の迎え方についても、いろいろな例を交えながら紹介する。

 色白でほおが赤く、元気な男性が「わしゃ、九十になるが、がんと聞いた途端に死んでしまいそうじゃ。知りとうないのー」と真剣に話された。「この年になると、思ったより少ないのが貯金の額で、思ったより多いのが漏れたおしっこの量じゃ。身辺整理はしとかんといけんのー」。大きな声で、笑いも飛び出す。

 とても九十歳には見えない。たとえがんがあったとしても、がんを抱えながら天寿を全うされるに違いない。いや、がんも寄りつかないだろう。

 「ええ話を聞かせてもろうて。あなた体に気をつけて、長生きしんさいのー」。話が終わって帰り際、声を掛け、手まで握ってくれた。見ると、薄着のうえに自転車。コートを着込み、マフラーを巻いて車に乗る私。スイスイと先を走る自転車を目で追いながら、「すごいわ。参った」と脱帽する。

 人口が減り、高齢化率も高い地域では、死をみとる人がいないため、ふるさとを離れ、町の病院で最期を迎えることが多いのが現状だ。「自分の生まれ育ったこの土地で、人生を終えたい」と思っていても、それを支える人がいないとなかなか難しい。ピンピンコロリを願う背景には、こんな事情もある。

 以前、ある研究会で一緒だった看護婦さんから、「うちへ一度来てくれないかしら。ぜひ、地域の人に聞いてもらいたいのよ」と頼まれた。まだ行ったことのない郡部の山あいの町。その町で彼女は暮らし、福祉の仕事をしている。もう、十年以上も会っていない。

 「バタバタしたらいけんで。じーっとしとかんと」という主治医の顔が浮かんだ。でも、根がじーっとはしておれない性分。車は、雪の中国山地を目指していた。

Menu ∫ Back ∫ Next