第3部 ルポ・自衛隊は今 | |
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5.部隊改編 |
五月二十四日、岡山県北部の勝田郡奈義町にある陸上自衛隊日本 原演習場では、のどかな山並みを背景に、七四式戦車が砂けむりを 上げ、次々と通り過ぎていった。
戦車中隊に格下げ 第一三旅団(司令部・広島県安芸郡海田町)の傘下で、日本原に 駐屯する戦車中隊。六月の小野寺平正旅団長による訓練の「検閲」 を前にした、総仕上げの野営訓練の一環だった。 昨年三月、一三旅団が師団から改編。総定員は七千百人から四千 百人に縮小された。その中で、日本原の戦車大隊も「中隊」に格下 げ。とらの子の戦車は三十両から、十六両に減った。 だが、部下の訓練を見守りながら白坂昌行中隊長は明かした。 「師団時代、うちの隊員数は定員を大きく下回っており、戦車三十 両あってもどれだけ動かせたか…。今は定員も半分になったが、ほ ぼ充足し、十六両がフルに動かせる。訓練も充実している」 一九六二年に発足し、中国五県に七カ所の駐屯地を持つ旧一三師 団。九五年、二十年ぶりに改定された防衛計画大綱で旅団への改編 が決まった。冷戦終結を受けたスリム化を理由に、全国十三の陸自 師団のうち、四個師団が旅団となり、その第一号に選ばれた。傘下 の十六の部隊はそれぞれ編成の見直しを余儀なくされた。 旅団発足から一年余り。六月初め、海田市駐屯地の司令部を取材 した。訓練を担当する鈴木紳一・司令部第三部長は「意識改革しな がら、スムーズに旅団に移行できている」と言い切った。旅団側に は「リストラされた」との受け止め方は、あまりない。白坂中隊長 が語るように、師団時代にはアンバランスな状態もあったからだ。 ヘリなど配備次々 陸自が北海道などに人員を優先配置したあおりで、改編前の一三 師団の定員充足率は、全国でも最低レベルの六四・六%。武器や車 両などの更新も後回しで、「古くなった装備が最後に回るのが一三 師団」とも言われていた、という。 実際には旅団化に伴い、人員は一八%の約七百人しか減っていな い。さらに旅団への縮小の「見返り」として陸自が開発した十人乗 り移動車両「高軌道車」百二十八両、多用途ヘリ「UH―1H」三 機などが、次々と配備された。 主力となる海田町、山口市、米子市の普通科連隊の小銃小隊には かつて、車両は一台もなかったという。鈴木部長は「今は高機動車 が小隊ごとに配備され、自由に動ける。機動性は明らかに向上し た」と胸を張る。 人口減で税収減る 小野寺旅団長は「量を質でカバーする体制ができた」と話し、陸 自創設以来の改革の「成功」に自信を深める。ただ、駐屯地を支え てきた地元への対策は「名案がない」とも言う。 特に戦車、特科(火砲)など、縮小規模の大きかった部隊が集ま る日本原では、旅団全体の隊員減の半分近い三百三十人が、転出の 対象になった。現在の隊員数は改編前の三分の二の六百人余り。こ の影響で過疎が進む奈義町の人口は今年、初めて七千人を割った。 同町は六〇年の駐屯地設置以来、実弾演習の被害や反対運動の対 応などに苦労しながら、「共存共栄」を貫いてきた。町職員の一人 は「住民税や商店の法人税収などのダウンも大きい」とため息をつ いた。 |