第2部 自治体の課題 | |
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3.弾薬輸送 |
三月二十七日午後。呉市東部の広湾に面した米軍広弾薬庫の正門 から民間の運輸会社のトラック一台が出発した。「広島防衛施設局 からの連絡事項 3月27日広→横田へ弾薬を陸上輸送する」。市が 六日前、事前に市議会と報道機関に公表した文書通りだった。
公表は日常の業務 「米軍からの連絡を受け、施設局が電話で言ってくる内容を、出 発時刻を除きそのまま公開します」。呉市役所総務課にある基地調 整係の担当者にとって日常的な仕事だ。昨年は各地の米軍基地との 間で六十七回の輸送通告があった。 しかし、日本周辺での有事の際、こうした弾薬輸送の情報公開を どうするのかが、政府と自治体の間でも論議となっている。 「米軍の作戦が、対外的に明らかになってしまう場合には、必要 な期間、情報公開を控えるよう(自治体などに)依頼する」。周辺 事態法九条の政府解説書案は、こう記述する。 昨年八月。呉市など旧軍港四市でつくる協議会が東京で開いた研 修会。内閣安全保障・危機管理室の担当者は「情報非開示」の理由 を説明した。「どんな内容の物資をどういった経路で輸送するの か、事前公開すると、安全上の問題が出る」。「物資」の中身には 触れなかったが、弾薬を含むことは、話の流れからも明らかだっ た。 勝ち取った「権利」 広弾薬庫は東広島市の川上弾薬庫などとともに極東最大級の秋月 弾薬廠(しょう)を形成。一九九一年の湾岸戦争にも弾薬を送り出 した。周辺有事においても関与する可能性は高く、政府の説明通り だと、現在、当たり前に公開する弾薬輸送の情報が、一転して「軍 事機密」扱いされかねない。 呉市では一九六八年から弾薬輸送の事前公表が始まった。それま で「遊休待機施設」だった広、川上の両弾薬庫はベトナム戦争の激 化に伴い、六七年に使用が再開。呉市議会が、安全確保のために情 報公開を在日米軍に強く求めたのがきっかけだった。 当時のいきさつを知る八山雪光・元呉市議は「実際、輸送トラッ クの事故も起きたこともあった。市民の力で勝ち取った情報公開 だ」と振り返る。最初は通知されていたトラック台数や弾薬量など は今は伝えられなくなったが、市は情報公開を地道に続ける。 対応にばらつきも 今年一月。大分県での米軍実弾訓練に使われる弾薬が、広弾薬庫 から長崎県佐世保市の針尾弾薬庫に輸送された際、佐世保の報道機 関から、呉市に問い合わせの電話が殺到した。 佐世保市は福岡防衛施設局から弾薬輸送の通告を受けているが、 事前には情報を公表しないからだ。佐世保基地を監視する佐世保地 区労の今川正美事務局長は「呉市の情報があって、助かった」と明 かす。 同じ「秋月」でも、川上弾薬庫を抱える東広島市も原則的には事 前に情報は出さない。しかし、小笠原臣也呉市長は明言する。「事 前告知は沿道住民の不安にこたえるもので、これからも続ける。現 実には、弾薬を積んだトラックが移動すれば、秘密にしても分かる こと」。ただ、周辺事態法の対応については「そこまでは、まだ検 討していない」とするにとどめる。 広弾薬庫では九〇、九八年に市民団体の指摘で「通告漏れ」が判 明。呉市はそのたびに強く抗議している。「周辺事態にでもなれ ば、市が出す、出さないを判断する以前に米軍側から情報そのもの が入ってこなくなる恐れもある」。市幹部はそうも懸念する。 |