寺西 テルノ(43)
材木町33番地の自宅が建物疎開となり、近所の天神町23番地に移り、爆死▼夫と子どもの5人。あめ製造業の夫は三菱広島造船所で、修道中5年の長男は動員先に向かう南区的場町で被爆。
二女 万亀子(21)
芸備銀行(現・広島銀行)勤務▼県庁周辺の建物疎開に動員。遺骨は不明。
三女 千代子(18)
信用組合勤務▼自宅跡で母と折り重なるようになっているのを父が確認。
松田 助市(47)
自転車店▼天神町23番地の3で被爆したらしい▼子どもと3人。いずれも遺骨は不明。妻子3人は愛媛に疎開。
二女 蓮江(18)
女子挺身隊員▼広島城南の西練兵場に出たらしい。
長男 治久(16)
広島郵便局職員▼勤務は爆心直下。
山路 愛子(19)
広島地方貯金局職員▼爆心1・5キロの中島地区警防団事務所に動員され、両親が11日に収容所で遺体と対面▼家族8人が住んでいた木挽町が強制疎開となり、松田自転車店2階に弟と妹の3人で転居。看護婦の妹は広島駅で、山陽中3年の弟は爆心1・5キロの製缶工場で被爆。
妹 キヨ子(16)
姉宅で爆死。遺骨は不明▼広島中央電話局に徴用となり、5日、安芸郡音戸町の疎開先から移ってきた。
友田 忠良(59)
漆塗り▼天神町26番地で爆死▼妻子ら5人。市立造船工業学校(現・市商高)4年の三男は動員先の三菱重工己斐分工場で被爆。
妻 カズ(54)
爆死。
長女 ユキ子(32)
夫を亡くし実家で爆死。
孫 勇(3)
ユキ子の長男▼母らと一緒に爆死。(注・遺影なし)
孫 美代子(3)
カズが5日、応召中の長男の妻がいた己斐(西区)から連れ帰り、爆死▼美代子の妹で生後間もない礼子は爆心2キロの己斐(西区)で被爆して9月5日死去。
加藤 チサト(37)
材木店▼爆心1・7キロの鶴見町(中区)へ勤労奉仕に出かけたまま行方不明▼父らと4人。父は5日、孫で小学5年の三女が疎開していた安佐南区で泊まり帰宅途中に被爆。
長女 綾子(18)
製薬会社勤務▼爆心0・7キロの会社に出勤途中、爆死したとみられる。
二女 倭(しず)子(15)
市立第一高女(現・舟入高)4年▼遺骨は不明。自宅跡でブラウスの焼け残り片が見つかる。
加納 慶朗(60)
マッチ会社役員▼天神町19番地から五日市町(佐伯区)に疎開。原爆投下直後から娘2人を捜して歩き、45年末に死去。
長女 二宮 芳枝(35)
疎開先から5日、爆心1キロの国泰寺町の自宅へ蚊帳を取りに戻る。遺骨は不明。
三女 和子(20)
父が連れ帰った五日市町で13日死去。
武田 佐一郎(61)
元朝鮮総督府勤務▼天神町19番地の親族、加納宅裏の自宅で爆死。遺骨は不明▼二男と2人。東洋工業(現・マツダ)勤務の二男は建物疎開作業に出た爆心1・5キロの田中町(中区)付近で被爆。
新内 静治(47)
建材販売業▼天神町18番地で爆死▼妻と2人。豊田郡安芸津町の祖父母宅に疎開していた小学5年の一人息子が、自宅跡で両親の遺骨を確認。店には客とみられる遺体も。
妻 房子(49)
爆死。
堂河内 芳子(30)
遺骨は不明▼夫と長男の3人。自宅があった木挽町が建物疎開となり転居。夫は爆心3・5キロの徴用先の鉄工所で被爆。小学6年の二男は双三郡三良坂町に疎開。
長男 武(14)
第二国民学校(現・観音中)2年▼遺骨は不明。(注・遺影なし)
河野 ハナヨ(41)
木挽町の自宅が建物疎開となり、一家で移った天神町で爆死▼9人。夫は爆心2・3キロの中国塗料で、二男は2キロの広島電鉄で被爆。
長女 美恵子(20)
遺骨は不明。友人を訪ねて市役所近くで爆死したらしい。
三男 通次(12)
山陽中1年▼遺骨は不明▼動員先で被爆し、広島赤十字病院までたどり着いたらしい。(注・遺影なし)
二女 登美枝(9)
中島小▼遺骨は不明。(注・遺影なし)
四男 一三(6)
中島小▼遺骨は不明。
五男 一成(生後7カ月)
自宅で爆死。(注・遺影なし)
親族の子 忠俊(不明)
河野宅で爆死。(注・遺影なし)
山崎トミ(54)
遺骨は不明▼天神町71番地。長男と、疎開してきた弟の米川家族の8人。母校の広島二中(現・観音高)で被爆した大学1年の長男を除き全滅。
米川喜久代(35)=右上
義姉の山崎トミ宅で爆死▼45年2月、名古屋から疎開した広島の実家が建物疎開となり7月、義姉宅に転居。
長女 綾子(15)
広島女学院高女3年▼広島鉄道局に動員され、爆死。
長男 賢太郎(13)
広島一中(現・国泰寺高)1年▼爆心0・9キロの学校で被爆し、父が連れ帰った名古屋で26日死去。
二女 満利子(7)(左)
爆死。
三女 信子(3)(中)
爆死。
三男 正義(2)(右)
爆死。
佐野 正年(32)(左)
木炭商▼天神町12番地の自宅で被爆したとみられる▼妻子と母、弟の5人。学徒動員先の三菱重工広島造船所で被爆しながら助かった末弟は「自宅跡を掘り返す気にはなれなかった」。
妻 孝枝(24)(右)
遺骨は不明。
長男 清(生後10カ月)
遺骨は不明。(注・遺影なし)
母 ミツ(55)
遺骨は不明▼養子に出た二男良夫は水主町(中区)で被爆して46年、29歳で死去。
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《記事の読み方》死没者の氏名(年齢)▼職業▼被爆死状況▼45年8月6日の居住者と、ほかの家族らの被爆状況=いずれも肉親遺族の証言と提供の記録、公刊資料に基づく。(敬称略)
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田村 ヨシ(72)
遺骨は不明▼孫夫婦らと5人で古市(安佐南区)に疎開していたが、5日、孫の夫と交代して天神町14番地に帰宅。
ヨシの縁せき 田村ツネ(不明)
遺骨は不明。(注・遺影なし)
増田 二(つぎ)枝(20)
天神町11番地の自宅で被爆し、遺骨は不明▼計理士の父が高田郡八千代町の疎開先にいた家族を訪れたのと交代して5日、留守を預かるため実弟を連れて戻る。
越智 道夫(13)
富田林中2年、二枝の実弟▼大阪空襲に遭い7月、広島二中(現・観音高)に編入するため天神町の叔父宅に疎開。庭先でバックルが見つかる。
国本 幸吉(61)
貸しボート業▼天神町8番地の自宅跡で、島根県石見町の疎開先から駆け付けた長女の夫が遺体を確認▼三女と2人暮らし。5日まで山県郡戸河内町の親族宅を訪ねていたが、帰宅した。
三女 ヨシ子(23)
銀行勤務▼材木町の叔父宅跡で腕時計により遺骨を確認▼叔父も爆死。
今田 芳子(32)(右)
遺骨は不明▼長男の夫が病死して天神町76番地で、息子2人と義弟の妻の4人。
長男 幸夫(10)
中島小▼爆死。
二男 博己(6)(左)
爆死。
義弟の妻 孝子(27)
爆死▼夫は47年暮れにシベリア抑留から帰り、自宅跡を掘る。(注・遺影なし)
西広 ユキ(52)
移り住んだタオル卸の藤井兄弟商会(休業中)の玄関前で爆死▼三女と2人。
三女 和子(17)
市立第一高女(現・舟入高)専攻科。動員先の関西工作所(中区)が電休日のため自宅にいたらしい。白骨となった遺体を義姉が確認。
原 ツギ(54)
天神町7番地の3の自宅で爆死▼大工の夫と2人。夫は泊まり込み仕事をしていた仁保(南区)で被爆。結婚していた二女が8日、遺骨を確認。
野坂 昇(64)
歯科医▼天神町94番地で爆死。五女が8日、小さく白骨になった父を懐中時計とともに確認▼妻と子の3人。五女は挺身隊で動員先の爆心2・7キロの広島陸軍被服支廠で被爆。
妻 シマ(56)
遺骨は不明。
松浦 リュウ(53)(右)
元呉服商▼天神町80番地で爆死▼一人暮らし。長男夫婦が46年、庭の防空ごう跡で3人の遺骨を確認。
孫 満喜枝(8)(左)
段原小▼リュウの長男の妻に連れられて安芸郡の疎開先から5日、訪ねて泊まる。
東 竹楠(不明)
知人の松浦リュウを訪ねて爆死。
小滝 武義(49)
大工棟りょう▼天神町67番地の自宅跡で妻が焼け焦げたカーキ色のズボン切れ端を確認▼妻子6人は3月、郷里の比婆郡高野町へ疎開。
森脇 ナツヨ(24)
天神町37番地で遺骨を確認▼夫と義妹の3人。町内の進藤小児科勤務の夫は、徴用となった爆心4・5キロの陸軍軍需輸送統制部(南区)で被爆。
内山 千鶴子(不明)
看護婦▼応召中のナツヨの義弟の婚約者で、泊まりがけで来ていた。
長尾 安恵(40)
飲食店▼天神町73番地。6日は、隣組単位による野菜の配給を受け取る順番に当たっていた。遺骨は不明▼娘と3人。長女は5日、南隣の進藤一家と賀茂郡黒瀬町を訪ねる。二女は学徒動員先の舟入川口町(中区)へ。
平石 シズヱ(24)
マルシン洋服店従業員▼天神町74番地で被爆し、遺骨は不明▼親族で店主の進藤家族と4人。進藤一家は投下前日、長女が疎開していた賀茂郡黒瀬町へ。
石井 省三(43)
質店▼自宅で爆死したとみられる▼天神町3番地に妻と娘の4人。比治山高女4年の長女は爆心3・5キロの中国配電(現・中国電力)大州製作所で被爆。
妻 マサコ(37)
爆死。
長男 大作(17)
県警察練習所生徒▼中区の寮住まい。ただ一人残った長女が12日、安芸郡海田町で遺体を確認。
二女 芙美子(13)
広島西高女(現・廃校)2年▼詳細は不明。(注・いずれも遺影なし)
馬本 勝之(28)
三菱重工内にあった「神州八一〇一工場」に徴用▼天神町(番地不明)の義父宅で爆死したとみられる▼新妻と5日、生家の安佐南区古市に戻るはずが荷馬車の都合がつかず延期に▼広島電気通信工事局勤めの父博康は爆心1・7キロで被爆して9日、52歳で死去。
妻 久子(27)
爆死。
木村 茂(43)
新橋そばの公設市場で精肉店▼天神町78番地の玄関前跡で、三男が遺骨を確認▼妻子と10人。三男は学徒動員先に向かい、爆心2キロの比治山橋で、妹二人も中区で被爆。二男は長崎医専(現・長崎大医学部)に在学し、長崎で被爆。
妻 サツキ(40)
ふろ場跡で遺骨を確認。
長女 勝子(21)
広島陸軍糧秣支廠勤務▼自宅にいたとみられる。
二女 照子(15)
広島女子商業学校▼遺骨は不明。
六女 宏子(1)
母のそばで小さな遺骨を確認。(注・遺影なし)
サツキの長女 高田 和江(16)
動員先の爆心1・5キロで被爆し3年後に死去。
サツキの長男 展年(のぶとし)(13)
山陽中1年▼爆心1キロ、市役所近くの雑魚場町の建物疎開に出て爆死。
今回確認できなかった北組の原爆死没者の記録と遺影は、次回予定の天神町南組で併せて収録します。新橋に近い一帯の建物疎開動員で亡くなられた広島市立第一高女(現・舟入高)の記録についても提供ください。
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