植田 泰子(38)
爆心1・2キロの水主町(中区)の自宅で長女と下敷きになり、女児3人を疎開させていた世羅郡甲山町の実家で10月18日死去▼産婦人科医の夫は応召で広島第二陸軍病院三滝分院に配属され休院中。広島二中(現・観音高)の長男は動員先の爆心3・7キロの三菱重工広島機械製作所で被爆し、47年死去。
木原 ミチヱ(18)
看護婦▼天神町34番地の植田産婦人科で爆死したとみられる▼45年3月、医療従事者に発令された県の「防空従事業務令」により、看護婦3人はとどまっていた。遺骨は不明。
堀川 和枝(20)
看護婦▼甲山町の植田医院から移った天神町の植田産婦人科で爆死。父と母が12日、娘に持たせて焼け残ったトランクそばで遺骨を見つける。
山根 ハルヨ(22)
看護婦▼天神町34番地で爆死したとみられる。遺骨は不明。
米田 道代(61)
天神町39番地の台所土間で爆死▼息子と義姉の4人で居住し、全滅。
長男 吉清(39)
京染店。45年から中区江波の三菱重工広島造船所で炉をつくる仕事に従事▼妻子5人は安佐北区に疎開。
二男 秀三(36)
京染店。兄と同じ作業に従事▼妻子2人は疎開していたが、入市被爆して長女久美子は9月、1歳で死去。
義姉 よね(63)
(注・遺影なし)
蔵本 美子(36)
天神町40番地の内科医院跡で10日、夫と長男が金歯で遺骨を確認▼4人。夫は爆心4・3キロの三菱重工広島造船所の構内診療所へ、広島高師(現・広島大)付属中2年の長男は勤労作業に向かう途中、それぞれ被爆。
義弟 養三(42)
県立広島病院医師▼5日夜、出張先の東広島市から兄宅を訪れて宿泊。庭先で遺骨を確認。
玉田 秀子(不明)
看護婦▼医院で爆死。
渡辺 ヨシコ(43)
金物店▼天神町48番地の移転先で爆死。懐中時計で遺骨を確認▼堺町(中区)の自宅が建物強制疎開となり、8月1日から夫と長女、三男の4人で転居。いずれも動員先で被爆。長崎高専生の二男安太郎は長崎で被爆して48年、20歳で死去。
筑紫 ロク(61)
安佐北区の疎開先から荷物整理のため5日、娘や孫ら4人で天神町49番地に帰宅。遺骨は不明▼眼科医の夫は43年死去し、部屋を知人の小林家族に貸していた。
二女 飯田 輝(てる)(27)(上)
海軍中佐の夫が44年戦死して帰郷。復員した弟が庭跡で遺骨を確認。
孫 健太郎(1)(下)
祖母や母と爆死。遺骨は不明。
古賀 ツヤ(38)
お手伝い▼筑紫眼科で20年近く一緒に暮らす。遺骨は不明。(注・遺影なし)
清水 直右衛門(44)(右)
呉服店▼天神町43番地で妻と折り重なるように爆死▼2人暮らし。
妻 一子(38)(左)
爆死。
岡原 政太郎(48)
県歯科医師会書記▼天神町52番地の事務所で、夫の愛用パイプと白骨遺体を妻が見つける▼自宅は安佐南区。二女の祗園高女4年三四(みよ)子(16)は、対岸の爆心直下の広島郵便局に動員されて爆死。遺骨は不明▼県歯科医師会史によると、職員7人が死去とされているが、詳細は不明。
小林 十六(57)
旅館経営▼筑紫宅で遺骨を確認▼県庁近くの水主町110番地の旅館が取り壊しとなり、7月末に3人が転居。
妻 幾怒恵(54)
病の夫の看護に付き添い、爆死▼5日訪ねてきた長男の妻に「息子が帰るまで元気でおらにゃあいけんよ」と語る。一人息子はビルマ(現・ミャンマー)に。
めい 千恵子(18)
小林夫妻と爆死。
進藤 哲郎(43)
小児科医▼市内疎開先から天神町52番地の医院に向かう途中、被爆したとみられる。遺骨は不明。
妻 恒子(39)
夫に遅れて医院に向かう。母が捜したが詳細は不明。
二男 英次(不明)
広島二中(現・観音高)1年▼中島地区の家屋疎開作業に出て級友340人余とともに死去したとみられる。(注・いずれも遺影なし)
梅村 量助(63)
畳業▼中島新町の自宅が建物疎開となり、天城旅館に転居し、爆死。遺骨は不明▼長男の妻と2人。
義理の娘 正恵(25)
爆死▼夫はビルマから46年に復員。(注・いずれも遺影なし)
天城 慶一(56)
旅館経営▼天神町59番地の軍用旅館で爆死▼妻と長男の3人。妻は5日、義母が疎開していた三次市へ。泊まり客や従業員の多数が爆死したとみられるが、詳細は不明。
長男 敏夫(24)
学徒兵▼45年初め満州(現・中国東北部)から広島城跡にあった軍管区司令部に転属となり、出勤途中に爆死。
小野 時子(42)
遺骨は不明▼夫と二男の3人。天神町61番地でタクシー業を営んでいた夫は勤務先の三菱重工広島造船所で被爆。
二男 貢(13)
市立造船工業学校(現・市商高)1年▼中島地区の建物疎開に動員。父が7日、本川に浮かぶ息子を見つける。「あれでも生き返りはしないかと、我が子の胸に耳を押しあて、押しあてしたが、生き返るはずのないことであった」と生前の手記に残す。
二井谷 松輔(38)
だるまや薬局▼天神町70番地で家族4人が全滅。姉や弟たちが遺骨を探したが、詳細は不明。当日は疎開準備をしていたらしい。
妻 トキ子(33)
爆死。
長女 早智子(8)
中島小▼爆死。
二女 瑠美子(2)
爆死。(注・遺影なし)
田中 邦吉(55)(右)
材木業▼天神町68番地の自宅から爆心1・3キロの舟入町(中区)の店に出て被爆し、9月6日、廿日市市の親族宅で死去▼妻と娘の3人。
妻 八重乃(45)(左)
自宅から佐伯区の親族宅へ向かったらしい。遺骨は不明。
長女 喜美子(22)
自宅台所で遺骨が見つかる▼夫の伊三郎(26)は旧ソ連に送られて45年12月病死。
平田 ハスノ(44)
土砂業▼遺骨は不明▼天神町22番地の1の自宅で子どもと6人。長女は爆心2・3キロの広島地方専売局(現・日本たばこ)で被爆。夫と二男は応召。長男は戦死。
三男 義明(14)
崇徳中▼爆心0・8キロの八丁堀(中区)付近の建物疎開作業に動員され、遺骨は不明。
四男 政治(11)
中島小▼遺骨は不明
二女 澄江(6)
遺骨は不明。(注・遺影なし)
四女 光子(1)
遺骨は不明。(注・遺影なし)
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《記事の読み方》死没者の氏名(年齢)▼職業▼被爆死状況▼45年8月6日の居住者と、ほかの家族らの被爆状況=いずれも肉親遺族の証言と提供の記録、公刊資料に基づく。(敬称略)
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中村 ナミ(56)
天神町76番地の自宅で被爆し、広島湾に浮かぶ似島で9日死去▼京都府立医専の三女が16日、水葬されていた母の頭髪と名札を受け取る。内科医の夫が病死し、自宅前をセメント会社に貸していた。
菊池 重郎(33)
日本勧業銀行広島支店勤務▼天神町66番地の2の自宅から、爆心0・9キロの支店出勤途中、爆死したとみられる▼5人家族の全滅を、ニューギニアから46年復員した弟が確認。遺骨はいずれも不明。
妻 シゲヲ(37)
自宅とみられる。
長女 敏子(2)
母と自宅にいたとみられる。
長男 光雄(13)(左)
崇徳中2年▼学徒動員で白島(中区)方面に出たらしい。
二男 勝之(9)(右)
中島小▼材木町の誓願寺分散教室に行ったらしい。
高幣 セツノ(49)
製麺業▼天神町官有23番地の自宅跡で、金歯で遺骨を確認▼娘と孫、弟と5人。
三女 光子(25)
住み込み動員となった安佐北区の学徒動員寮から4日ごろ一時帰宅し、爆死。
孫 中村 博幸(7)
広島陸軍偕行社付属済美小2年▼父の戦死で母と2人で祖母宅そばに転居。母は爆心2キロの広島駅構内で被爆。
弟 梶川 義人(不明)
徴用で乾パン工場勤務▼妻子を疎開させて姉宅に居住。一緒に爆死したとみられる遺骨の判別は不明。(注・遺影なし)
青木 滝次郎(53)
製針合名会社経営▼天神町72番地の自宅で爆死▼妻子の5人。三女は自宅から爆心1・4キロ、勤務先の観音小で被爆。母と三男は7月初め佐伯区に疎開。長男はニューギニアで戦死。
妻 ハル(52)
自宅で爆死。
二女 喜代子(21)
自宅で爆死。
二男 暉雄(13)
広島一中(現・国泰寺高)1年▼動員先で被爆して収容された似島で8日死去。地下たびの名前で遺骨を確認。
山崎 鶴蔵(61)
骨とう業▼自宅があった天神町南組一帯が45年春から建物強制疎開となり、転居した青木商店の南隣で爆死。
妻 トモ(58)
爆死。
長男 祥一(38)
運ばれた安佐北区の妻の実家で31日死去。
前川 ハル(58)
中国セメント管理人▼天神町79番地の事務所跡に放心状態でいるのを8日、中村医院の三女が見つけて救護兵に引き渡す。遺骨は不明▼夫とめいの3人で住み込み。夫は6日早朝、蚊帳を取りに佐伯郡湯来町の実家へ。(注・遺影なし)
めい 前川 シズエ(18)
事務所で爆死。遺骨は不明。
江角 忠則(38)
中国セメント社員▼事務所で亡くなったとみられる。遺骨は不明。
白井 定臣(30)
関西コンクリート工業所長▼荒神町(南区)の自宅から天神町のセメント統制組合事務所に向かう。遺骨は不明▼郷里津山市に疎開していた妻は8日消息を訪ねて入市し、二男が胎内被爆。
壷井 鶴栄(48)
丸金醤油広島出張所▼天神町30番地の出張所兼自宅で爆死▼夫と2人。夫は自宅から爆心3・2キロの宇品の広島陸軍糧秣支廠で被爆。広島高師(現・広島大)の寮にいた二男が7日、母の遺骨を確認。
田辺 ハナコ(33)
遺骨は不明▼天神町84番地に子どもと3人。市立第二国民学校(現・観音中)の長男は中区千田町で被爆。指物大工の夫は応召で宮崎県へ。子ども3人は疎開。
長女 君子(2)
遺骨は不明。(注・遺影なし)
東 恒一(不明)
医師▼広島市医師会の「原爆殉職医師調査」によると、8月6日死去。(注・遺影なし)
沖田 周次(68)
履物店▼疎開先の安佐北区高陽町から天神町35番地の店に着いて爆死。愛用の銀製ベルト・バックルで妻が遺骨を確認▼商店は応召中の長男の妻と住み込み店員の3人が留守番役。
長男の妻 キシコ(32)
商店で爆死▼店員2人の詳細は不明。(注・遺影なし)
仙波 ミサオ(53)
洋服仕立て▼天神町32番地の自宅で爆死したらしい▼一人息子はパラオに徴用となり、46年に戻り母の死を確認。
中村 泰(ゆたか)(62)
酒卸・販売、天神町北組町内会長▼天神町31番地の店で爆死▼妻と息子の4人。南区の暁部隊にいた三男が7日、両親と兄の遺骨を確認。
妻 チヨ(61)
店で爆死▼西区の親族宅に疎開して店に通っていた。
長男 久(37)
応召中▼基町(中区)の偕行社にあった郷土防衛部隊から爆心1キロ、現在の土橋町(中区)方面の建物疎開作業に出て被爆し、佐伯郡大野町で7日死去。
二男 久人(35)
酒卸・販売業▼爆死▼妻子3人は疎開先の西区で被爆。
鹿野 つねこ(41)(右)
天神町27番地の跡で、溶けた眼鏡だけが見つかる▼子どもと4人。長女は、安佐南区に一部疎開した広島陸軍糧秣支廠へ。夫はガダルカナルで戦死。
二男 滋(8)(左)
中島小3年▼遺骨は不明。材木町の誓願寺にあった分散教室に行ったらしい。
三男 勝(2)
遺骨は不明。(注・遺影なし)
隅川 賢一(37)
広島県経理課職員▼遺骨は不明▼妻と義弟の3人。義弟は爆心2・5キロの西区の建設会社で被爆。(注・遺影なし)
妻 光子(35)
出勤する弟に「早くゲートルを巻いて行かないと…」。遺骨は不明。
亀好 賢二(14)
市立造船工業学校(現・市商高)1年▼動員先の材木町で爆死したとみられる。遺骨は不明。父が天神町で喫茶店「神戸屋」を経営。両親と兄弟の5人は西区の自宅などで被爆。
橘高 昌次(52)
クリーニング店▼建物疎開になった水主町7番地(中区加古町)から神戸屋に移って爆死▼妻と長女、従業員の4人。安佐南区にいた二女が歯形で全員の遺骨を確認。長男は満州(現・中国東北部)で8月16日に戦死。
妻 房代(59)
爆死。
長女 千鶴子(25)
爆死。
片岡 佐津吉(不明)
住み込み働きの水主町の店から一緒に転居。
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