いつでも実験が可能/パキスタン'98/5/18
高まる不安とさい疑心
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パキスタンに原子力委員会が生まれたのは一九五六年。「原子力 の平和利用」を目的に米国は六〇年、イスラマバード郊外の原子力 科学技術研究所に実験炉を建設した。これが最初の原子炉である。
原爆開発のきっかけは、七一年の第三次印パ戦争で敗北し、東パ キスタン(現バングラデシュ)を失ったことだった。敗戦直後、首 相に就任したばかりのズルフィカル・ブット氏は、通常兵器で優位 に立ち、核開発を進めているらしいインドに対抗するには「原爆し かない」と、七二年一月、欧米で研究中の科学者をも本国に集め核 兵器開発を指示したと言われる。
原爆15−25個相当
しかし、本格的な開発への取り組みは、インドが地下核実験に成 功した七四年以降。当時、オランダで研究中の冶金(やきん)学者 で、核科学にも詳しいアブドラ・カーン博士が帰国し、陣頭指揮に 当たった。
パキスタンの「原爆の父」と称せられるカーン博士は、首都にほ ど近いカフタに遠心分離機を完成させ、原爆製造に必要なウラン2 35の取り出しに成功した。
産業が発達していないため、当時必要なすべての部品はドイツな ど主にヨーロッパ各国の企業から買いそろえた。一方で、中国から の技術援助を受けながら核開発を進めてきた。
ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)などによると、こ れまでに原爆十五―二十五個に相当する兵器用濃縮ウラン二百二十 キロ以上を蓄積していると推定している。
原発は七二年に稼働したカナップ(カラチ原発)のみで、現在、 中国製の原発がインダス川そばのチャシュマに建設中である。パキ スタンではカナップ以外の核施設はすべて何らかの形で核兵器開発 に関係していると言われる。
「負の遺産」が拡大
インドの核実験を受けカーン博士は「政府が決定すれば、パキス タンもいつだって核実験ができる」と断言した。ミサイル開発でも この四月には五百キロの重さの核弾頭を搭載し、千五百キロの射程距離 を持つとされる中距離弾道ミサイル「ガウリ」の発射実験に成功。 インドに対抗して核、ミサイル開発に心血を注ぐ。
パキスタンでは、今年三月に誕生したヒンズー至上主義を掲げる インド人民党を中心とした連立政権の出現に警戒心を強めていた。 そのインドが核実験を強行してしまった。
国際世論によってパキスタン国内に高まる核実験実施への思いを とどまらせることができるかどうか。仮に実験を強行するようなこ とになれば、かつて冷戦時代の米ソがそうであったように、印パ両 国は核対峙(じ)という「恐怖の均衡」の下、これまで以上に不安 とさい疑心を募らせながら敵対を続けることになる。
それはまた貧困や多くの失業者を抱える厳しい経済・社会状況に ある両国民にとって、軍事費への「浪費」という重いくびきを抱え るとともに、核開発や核実験に伴う放射能汚染という人類の「負の 遺産」を新たに拡大することをも意味する。
【写真説明】パキスタンで唯一稼働中のカナップ(カラチ原発)。出力137メガワットだが、整備利用率は50%台にとどまり、核疑惑 を抱いたカナダから燃料や部品の供給がストップしたこともある