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「原爆、忘れまじ」交流の芽'98/7/27
(5)体験集を通じて
パキスタンの招請 心待ち
体験集を原水禁世界大会でパキスタン代表に手渡し、交流拡大の計画を仲間と話し合う亀沢さん(右端)=名古屋市千種区 今年六月、核実験後のインドとパキスタンを巡った被爆者の武田靖彦さん(65)=広島市安芸区=に先立つこと一年半。インドを平和行脚した被爆者がいる。亀沢深雪さん(70)。名古屋市千種区の住宅街で姉と二人で暮らしている。
身長一四三センチ。歩く度に、小さな体が左右に揺れる。左ひざは、ほとんど曲がらない。被爆二年後に骨髄骨膜炎を発病し、これまで八回手術を受けた。足は今も痛む。
インドの平和活動家に招かれて海を渡ったのは昨年一月だった。十二日間で、西部のボンベイや南部のマドラスなど五都市を回り、七カ所で被爆体験を証言して原爆展を開いた。
十七歳の時、広島市中区舟入本町の自宅で、母とともに被爆した。旧県立第二高女の二年だった妹は、市役所近くで建物疎開中、全身にやけどを負って翌日息絶えた。「日本は断じて負けません」とうわ言を言い続けていた。
昨年はちょうどインド独立五十周年だった。ナショナリズムで国中が沸き立っていた。原爆展で参加者が国歌を斉唱するのに戸惑った。それでも会場には、妹の話をすれば涙を流す姿があった。
帰国後、その人たちに送り届けた本がある。「原爆、忘れまじ」の英語版。被爆四十周年の一九八五年から七年間、愛知県原水爆被災者の会の婦人部が女性ばかりの被爆体験を収録して毎年一回発行した。
最終集を出した九一年から、三十六編を抜粋して英語やロシア語など五カ国語に翻訳した。日本語と外国語版を三千円で買ってもらい、知り合いの外国人に贈る「世界に広める会」の先頭に立った。インドの平和運動家とは、この運動の中で知り合った。
文章を書くのが昔から好きだった。父の転勤で広島から三重県桑名市に移り、その後名古屋市に転居した。三十歳で愛知県立図書館に勤め始めてからは、被爆体験に基づく小説を同人誌に発表し続けた。
これまで小説集「傷む八月」、自分史「広島巡礼」の二冊の本を出している。
今年五月、インドの核実験実施のニュースには衝撃を受けた。心底分かってもらえたと思っていただけに、「裏切られた」との思いがした。
仲間二十人と繁華街に座り込んで抗議した。ひざを投げ出し、雨の中で「訴え続けなければならない」と感じた。座り込みは印パの実験に合わせて四回続けた。
八月二日から、広島で開かれる原水禁世界大会にインド、パキスタンからの代表団が参加する。パキスタンには、まだ体験集「原爆、忘れまじ」を渡していない。
当日は、米国・シアトルで開かれるヒロシマ・ナガサキ慰霊祭に出席している。体験集は仲間に頼んでパキスタン代表に託す。体験集が縁でインドとの交流が始まったように、パキスタンからも訪問要請が来ると信じている。
足は痛むにちがいない。「それでもパキスタンへ行きます」。ふっくらした穏やかな表情に決意をにじませ、短く刈り込んだ髪に手を当てた。
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