中国新聞社

被爆体験をどう継承(6)

'98/6/18

▽朗読劇で心の通路開く

演出家「地人会」主宰
木村 光一氏
きむら・こういち 文学座を経て81年に「演劇制作体地人会」を設立。主な演出作品に「地の群れ」「化粧」「はなれ瞽女(ごぜ)おりん」など。芸術選奨文部大臣賞など受賞多数。66歳。
 原爆に子どもを奪われた母親や、母を失った子どもたちの手記で構成する朗読劇「この子たちの夏〜1945・ヒロシマ ナガサキ」の公演が、この夏で十四年目を迎える。全国で既に五百回を超えた。

 自主公演も全国に

 学生運動を経て、芝居をしながら日米安保問題などに関心を持ってきた。「被爆国に住む一人として、何ができるのか」「被爆の体験とは人類にとって何なのか、表現したい」。そんな思いを抱き続けてきた。

 文学座で一緒だった故杉村春子さんが、子どもを亡くした母親の被爆手記を朗読するテレビ番組を見て「これだな」と思った。人間が結び付く最小の単位である、母と子はあの日どんな会話を交わしたのか。ガリ板刷りの被爆手記を数多く取り寄せた。

 死が近づいた息子に「お母ちゃんも一緒に行くから」と母親。息子は「あとからでいいよ」と答える。なんと深い言葉なのか。原爆の恐ろしさは、どんな知識を持ってしても表現力の外にある。しかし、母と子の会話は、どんな人の心にも通路をつくる。

 高田敏江、日色ともゑ、山口果林…。朗読する女優には「演技ではなく、母親たちの代わりに読むつもりで、台本から目を離さないで」と言ってきた。母親と同じ世代の市民として読んでほしいからだ。

 八年前から主婦グループ、大学サークルなどで「自分たちで上演を」という声が広がり、自主上演も延べ約千四百回に達した。二日に一回の割合で全国のどこかで上演されている計算だ。希望者には実費で台本やテープも送っている。

 市民が自ら行動することで、被爆体験も次代を担う子どもたちに伝わる。その意味でこの作品は、作者不詳の民謡のように、どの役者、作家がつくるというのではない無名性を帯びてきている。

 保有国と「絶交」を

 ヒロシマ、ナガサキの記憶が薄れてきているのに、政治は「景気が悪い」と騒ぐだけ。なぜ核保有国に「絶交」を言い渡せないのか。その代償として、景気が悪くなってもいいではないか。犠牲を払わずに「核はいけない」と言えないはずだ。

 インド、パキスタンの民衆は核実験の成功で、原爆を持てたと喜んでいるという。だが、彼らを非難する前に、米国など核大国にゴマをすってきた、私たちのあさましい戦後をふり返るべきだ。各地の地域紛争で、今も子どもたちが虐殺されている状況に想像力が及ばなくなってはいないか。

 希望を感じる時も

 それでも、自主上演の広がりや、私たちの公演に心を動かしてくれる人たちを見ると、この社会にはまだ希望がある、と感じる。核がのさばる今、「これしかできないけど…」と行動する人がもっと増えれば、世界は変わるはずだ。今年の八月公演では、紛争の犠牲になっている子どもの手記も朗読する。



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