中国新聞社

核の脅威、どう告発(5)

'98/6/17

▽反核培う「伝える」営み

フォト・ジャーナリスト
大石 芳野さん
おおいし・よしの 大学在学中ベトナム戦争に衝撃を受け、「戦争と平和」をテーマに活動。93年「カンボジア苦界転生」で芸術選奨文部大臣新人賞。「HIROSHIMA半世紀の肖像」などの写真集多数。54歳。
 政治って何だろうと思う。膨大な金と知恵を投入して、人々を破滅の方向に導く。その矛盾から民衆の目をそらし、権力や暴力と結びついて独り歩きし、人間の存在さえも無視してしまう。それが国際政治の論理なのか。

 すべての命断つ核

 「核は抑止力」と政治は言う。だが、使われない武器などあり得ない。開発した以上、使いたがるのは歴史が実証している。ベトナム戦争で米軍が使った枯れ葉剤も、まけばどんな悲惨をもたらすか、米軍は知っていた。だが殺す側の論理を駆使し、いまだに後遺症に苦しむ人々を生んだ。

 人間は何のために生きているのかと問われれば、私は子孫繁栄のためと答える。連綿と続く、その営みを断ち切るのが核兵器であり、人間ばかりでなく他の動植物をも抹殺してしまう。インド、パキスタンの核実験の報を聞き、私の脳裏に浮かんだのは、月や火星の荒涼たる光景だった。

 苦悩に触れ無力感

 一九八四年から被爆者の写真を撮っている。ファインダーを通して感じるのは、「伝えたい」という被爆者の怒りにも似た迫力である。撮影を拒否する人からも同じ迫力を感じる。一瞬にして人間が消え、黒焦げになった地獄を、被爆者は見ているのだ。その目の奥にある人間としての苦悩に触れる時、自分の無力さに空しささえ覚えることがある。

 被爆から五十三年。多くの写真家やジャーナリストがヒロシマ、ナガサキを伝える努力をした。それでも世界の隅々にまで浸透していなかった。なぜか。日本人の心の中にその壁がある気がしてならない。

 「反核」といえば、この国では政治色がつきまとう。言論の自由があるのかと首をひねりたくなる。冷戦構造の「米国良い国」「ソ連悪い国」という図式の中で、そのイメージは増幅され、被爆者の口を重くした側面は否めない。結果的に被爆国民であるはずの日本人の核兵器への無関心さを培ったのではないか。それは日本の鈍感な核外交にもつながっている。

 写真展の後押しを

 人類が破滅に向かう流れを、どうすれば押し止められるのか。インドが核実験を強行した直後の新聞に載った、原爆写真展を見つめる子供たちの写真に心を揺さぶられた。子供たちのまなざしには、核兵器を拒否する輝きがあった。その澄んだひとみが答えであろう。地道な取り組みだが、核兵器の悲惨さを全世界の人々に浸透させるしか方法はないと思う。

 人類の生存が脅かされている状況に、「右」も「左」もないはず。被爆の悲惨を世界に浸透させる取り組みを、あらためて始めなければならない。原爆写真展をもっと広めなければ。日本政府は後押しする義務がある。私も一枚でも多くの写真を撮る。



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