抑止論に終止符を打つには(6)
'98/6/19
▽反核理念鍛え神話砕け
核保有国による核抑止力信仰は、僕の言葉で言えば、今世紀最悪の「愚眛(ぐまい)の哲学」だ。
作家ジャーナリスト
辺見 庸氏へんみ・よう 元共同通信記者。北京特派員、ハノイ支局長など歴任。91年「自動起床装置」で芥川賞を受賞。96年に独立し、著書に「もの食う人びと」「反逆する風景」など。53歳。 戦略核などの削減交渉が進み、核拡散防止条約(NPT)や包括的核実験禁止条約(CTBT)がセットになって、みんな油断していたのではないか。しかし、世界を千回破壊できる能力を七百回に減らしたといって何の意味があろう。軍縮の流れは一見理性的のようだが、実は狂気は続いているのだ。
準核保有国の立場
そして、唯一の被爆国でありながら核抑止力を認めている日本は、核保有国に準じる立場と言える。
日米防衛協力のための指針の見直し(新ガイドライン)は核問題と密接に絡むことをあらためて指摘したい。新ガイドラインは、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の核開発疑惑も前提にしている。核搭載疑惑のある米艦船の日本寄港にも反対の論拠が薄弱になる。国家総動員体制的に官民挙げての協力。印パの平和的調停役を果たすべき日本がアジアに脅威をもたらして、それでいいのか。
核実験を非難するのはいい。だが、今の日本に非難するだけの潔癖性があると言えるのか。
一九六四年に中国が初めて核実験を行った時の日本の新聞を読み直してみた。批判の論調が鈍い。あきれるほどだ。日本の知識人には、社会主義国の核実験に理解を示す人もいた。ジャーナリズムの在り方も問題なしとしない。
理解できない発想
核保有国は、インドやパキスタンを核クラブ入りさせない、核保有国としてNPTに入る資格はないという。さっぱり理解できない発想だ。そんな核クラブの特権を許しておいて、表層的な解説をするだけでいいのか。それがヒロシマ、ナガサキの反核運動を裏切り、弱めてはいないか。
あの理不尽な原爆投下により、日本はあらゆる核実験をいやがる感性を持った。二十一世紀の世界に誇るべき日本の感性であり、哲学である。反核という精神の防波堤。それを築くのは人類史的な義務なのだ。
核を神と位置付ける保有国の現実政治に負けないリアリティーを、僕たちは持たねばならない。反核の理念を強じんに、永遠に維持して行かねばならない。
核の問題は、だれもが避けては通れない「絶対テーマ」だ。逃げるわけにはいかないのだ。表現活動をしている者として最重要課題であり、今後もあらゆる仕事を通じて、その意識を持ち続ける。
まず自国を問おう
非核世界への道筋を付けるには、まず自国を厳しく問うていく、見えないものを見ていく努力が必要だ。被爆国が核の傘の下にいるというあいまいさを許してはならない。核問題と連動する新ガイドラインの論議がなさ過ぎはしないか。(おわり)
このシリーズは東京支社・岡畠鉄也、江種則貴、高本孝、報道部・山根撤三が担当しました。
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