原爆を学ぶ

 「学力重視」で機会減る

(2006.7.27)

 純白の半袖姿がういういしい一年生の男女三百二十四人が夏休みを前に、講堂で先輩の被爆体験を聞いた。広島市中区の舟入高で行われた総合学習の授業。「市女」と呼ばれた前身の市立第一高等女学校は、原爆で市内最多の犠牲者を出した学校である。

舟入高図書室で市女のアルバムを繰りながら、1年生の後輩や交換留学生に「戦時下の市女時代」を話す矢野さん(手前中央)

 証言をした西区に住む矢野美耶古さん(75)は、当時二年生。あこがれの市女のセーラー服を着た入学後から食糧増産のための学徒動員が続いた。「八月六日」の前日は、現在の平和記念公園南側を貫く平和大通り一帯で防火地帯を設ける作業に当たった。翌日も作業に出た同級生と一年生の五百四十一人は全滅した。

 矢野さんは前夜から腹痛が続き、宇品町(南区)の自宅で被爆した。実家の神田神社に次々と運ばれては息を引き取る老若男女の遺体を焼くのを手伝った。学校が再開すると、「生き残り」と胸をえぐられる言葉にさらされた―。涙声交じりに約五十分間。「原爆を自分たちの問題として考えて」と呼び掛けた。

 「何となく知っていた市女のことが本当だと分かった」「助かった人もつらい」。先輩の肉声を通じて触れた原爆の悲惨さを一年生はそれぞれに受け止め、この後、全員で平和記念公園に向かった。慰霊祭に向け、公園そばを流れる元安川右岸に立つ「市女原爆慰霊碑」の周辺を清掃した。

 ■1年生に限定

 とはいえ、原爆を学ぶには「十分な取り組みとは決して思っていない」と幾田擁明教頭(57)は話す。生徒が授業で被爆体験を聞くのは本年度から一年生の時だけ。十年くらい前まではロングホームルームを充て沖縄の戦争体験をも学ぶ時間が持てた。

 それが今は、学校の歴史でもあるヒロシマを教える時間をやりくりするのが精いっぱいだ。

 市女と同じように平和大通り一帯の建物疎開作業に動員され、多数の犠牲者が出た旧制中学や女学校の後身に尋ねると―。被爆体験を学ぶ授業は、皆実高がやはり一年生だけが対象。基町高は文化祭を利用して証言を聞く。国泰寺高、観音高は生徒会の有志が慰霊祭に参列するが、「特別に授業はしていない」。

 広島県教委が被爆六十年の昨年度、全日・定時・通信制高校に聞き取った「平和に関する取り組み」でも、九十校のうち実施校は三十六校と四割にすぎない。県高教組の被爆二世教職員の会副会長で向原高(安芸高田市)の平原敦志教諭(59)は、「年間の授業計画でがんじがらめ。やろうにもできない」と言う。

 教育現場は「ゆとり」の学校週五日制の中で「学力向上」を求められる。限られた時間の総合学習は、将来への「キャリア教育」などに比重を置かざるを得ず、被爆地ですら原爆を学ぶ時間は削られる。進学・就職の試験に出ないテーマは保護者の要望も低い。

 ■正答率は27%

 その影響をうかがわせる気になるデータがあった。NHK放送文化研究所が昨年に行った「原爆意識」調査で、投下年月日を正確に答えられた二十〜三十歳代は広島で60%、日本全体だと27%。「原爆問題を話し合う」頻度は被爆地ですら若年層は22%どまりだ。「記憶の風化が今後さらに進む」と予測する。

 他方、原爆投下について、米国は「正しい」と思う人が若年層ほど少なくなる(二十〜三十歳代は42%)。調査では米の中・高の歴史教科書が一九八〇年代後半から投下の是非を討議させる記述に変化したのを挙げて、「原爆に関してどのような教育が行われたかが要因の一つ」と分析している。

 後輩たちに証言した矢野さんは「学校だけでなく家庭で教えるのが大人の責任です」と暮らしに密着した原爆の学び方を願う。被爆地らしい教育が風化を阻むと思うからだ。(岡田浩平)

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