「二都」の平和行政

 異論回避へ「事なかれ」

(2006.7.28)

 長崎市などでつくる長崎平和推進協会が出した一枚の文書が今年、大きな波紋を引き起こした。「以下のような政治的問題への発言は慎んでほしい」と、自衛隊イラク派遣や改憲論議、歴史教育など八項目を挙げて、被爆体験を語る証言者たちに発言の自粛を促した。

「核兵器、戦争は今もなくなっていないことを考えてください」。長崎市の平和公園を訪れた観光客に被爆体験を語る山脇さん

 ■政治色を懸念

 証言者三十八人が所属する「継承部会」で一月に文書が示されると、地元の市民団体や日本被団協が「言論規制だ」と撤回を要求。協会の事務局側が「混乱を与えた」と六月下旬の総会で撤回するまで、証言者たちはいわば板挟みとなり揺れた。修学旅行生を中心に昨年は千百回の証言機会を協会から仲介された。

 あらためて「自粛」文書を出した真意を多以良光善事務局長(57)に尋ねた。「年に数件とはいえ証言を聞いた学校から『中立性を保って』との要望がある。政治的に意見が分かれる問題は触れない方がいいし、協会が政治色のある団体と誤解されてはと心配した」

 年間の予算約三千八百万円のうち83%は市の補助金で賄われ、事務局員九人のうち局長をはじめ七人が市の派遣。協会は市の「平和行政」と一心同体の関係にある。

 「体験だけを語ってほしいと事務局はいうが、『原爆は残酷だった』では済まされない」。山脇佳朗さん(72)は、総会で「自粛」文書に声を上げて疑問をぶつけた。電機メーカーを定年退職後に証言活動に参加。仲間と勉強会をつくり、聞き手の年齢や関心に応じて世界の核状況や紛争についての私見も交える。

 山脇さんは被爆の瞬間から、折り重なった死体を踏まないように爆心地近くで父の八寿雄さん=当時(47)=を捜した体験を語ってきた。しかし、聞く側からは「平和が大切」との通り一遍の感想が大半だった。悩み、考え、証言内容を今日の問題に引きつけて話すことにした。「原爆を過去のことと考えないで」との訴えを未来に生かしてほしいとの願いを込める。

 「被爆体験の継承を考える市民の会」代表でもある、長崎大の舟越耿一教授(60)は「『ノーモア・ヒロシマ・ナガサキ』は現実の問題と切り結ばないと力を持たない。異論や反発を恐れて平和行政が委縮すれば、被爆地の訴えは時代に埋没してしまう」と指摘した。

 ■「和解」を優先

 異論を避けるのは長崎市だけではない。広島市で十五、十六の両日にあった「原爆投下を裁く国際民衆法廷」で、被爆者や研究者らがつくった実行委の後援申請を、市は「責任追及は平和宣言で掲げる『和解』の精神となじまない」(国際平和推進部)として断った。

 市の平和宣言は、秋葉忠利市長が就任した翌二〇〇〇年から「和解」という言葉を四年続けて盛り込み、平和行政のキーワードとなっている。

 「民衆法廷」の呼び掛け人で、市立大広島平和研究所の田中利幸教授(57)は「米国の投下責任をあいまいにする態度はアジア諸国への日本の加害責任を不問に付すことにつながっている」といい、こう続けた。「面倒なことにはかかわりたくないという事なかれの姿勢では、世界への訴えを自らが閉ざしてしまう」

 「怒りの広島 祈りの長崎」。二つの被爆地は訴え方の表面的な違いからしばしば対比され、米を代表する雑誌「タイム」は一九六〇年代に「二都物語」になぞらえた。

 ところが歳月を重ねるうち、「二都」の平和行政は当たり障りのなさに心を砕く。くしくも歩調をそろえている。

 「平和論の多様(さ)から本当の強い平和が生まれる」。被爆医師として平和運動に取り組み、昨年に八十九歳で亡くなった長崎の秋月辰一郎さんは、協会発足(八三年)の会報に寄せた一文で画一的な考えを戒めていた。(石川昌義)

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