▽ベラルーシの老学者 幕引きさせぬ 訴え海外に
一九八六年四月二十六日に起きた史上最悪のチェルノブイリ原発事故。二十年が過ぎたいま、はるか遠い被災地と、世界で初めて核兵器の被害を受けたヒロシマをつなぐ取り組みがある。「二つのヒバク地」にこだわる人々を訪ね、「核時代」をともに生きる思いに触れた。(滝川裕樹、写真も)
事故二十年から一カ月。最大の被災地ベラルーシの遺伝学者ゲンナジ・ラジュク(79)の姿が広島市にあった。旧ソ連時代から原発事故による影響を調べてきた遺伝学の第一人者だ。十三年ぶりという今回は、チェルノブイリ被災地への医療支援を続けている放射線被曝(ひばく)者医療国際協力推進協議会(HICARE)加盟組織の広島大原爆放射線医科学研究所(原医研)などで講演するのが目的だ。
「おお、元気か」。ベラルーシで会った時と変わらぬ笑顔で再会を喜んでくれた。晴天の平和記念公園(中区)を案内すると、あふれる修学旅行生に目を細めた。原爆ドーム近くで岐阜県から来た女子中学生に声をかけた。
「この人は旧ソ連のベラルーシの学者だよ」
「えっ、ソ連って何?」
中学生が生まれたころ、ソ連という国はこの世になかった。世代のずれを痛感しながら、チェルノブイリの話を切り出す。ラジュクは、被災者に甲状腺がんが急増したことなどを説明する。生徒たちは意外と熱心に耳を傾けてくれた。
▽「調査 息長く」
放射線の人体への影響―。人類は驚異的なエネルギーを手にする一方、負の側面におびえ、その解明に取り組んできた。それでも、見えない闇が多く残る。
ラジュクは、長年の調査を基に、事故後に先天異常などが増え、放射線の影響による可能性があると訴えてきた。だが、国際的には認知されていない。昨年秋に国際原子力機関(IAEA)などがまとめた報告書も事故の影響を否定する。
「賛成できない」。ラジュクは首をかしげる。最も汚染された地域と非汚染地域とを比較するラジュクの手法に対し、IAEA報告の基になった調査は、州全体を平均したデータを使っている。これでは事故の影響はつかめないと批判する。
広島では原爆投下から六十年が過ぎたいまも、被爆者に悪性腫瘍(しゅよう)が増え続け、甲状腺疾患の発症が多くみられる。原医研でかつて所長を務めた横路謙次郎(79)は「放射線の影響は非常に長い。さらに、がんの発生状況が被曝二世でどうなるかなど、広島でも分からないことは多い」という。
チェルノブイリの被災地も訪れた経験がある横路は、原爆と原発事故との被曝状況の違いを説明し、「広島の先例に固執せず、息の長い調査が必要だ」と説く。
▽研究所が閉鎖
しかし、被災地復興を最優先課題に掲げるベラルーシでは、事故の幕引きに向けた動きも進む。ラジュクが所長を務めた先天性・遺伝性疾患研究所は二〇〇四年末、他の施設と統合するという名目で閉鎖された。門下の研究者らは失業したり、研究の場を海外に求めたりしているという。
ベラルーシで四月にあった事故二十年の国際会議。ラジュクの発表が「時間がない」との理由で打ち切られる場面があった。後日、何とか発表できたというが、「事故の記憶を引きずりたくない当局は、人々の不安を招きかねない研究を快く思っていない」との声もある。ラジュクは新たな調査を国に申し出ているが、いい返事はない。
記憶の風化に加え、強権的な政治体制で自由にものが言えない空気も漂う。だからこそ、老いた遺伝学者は国際的な協力の継続を求めて声を絞る。「広島と同様、チェルノブイリの解明は、人類の役に立つ」。見えない闇におびえる人々に何ができるのか、ヒロシマにその使命が問われている。(敬称略)
【写真説明】原爆ドームを背に、チェルノブイリの状況を修学旅行生に説明するラジュク氏
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