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見捨てられた村
民族協和 安住求め汚染地に流入 ('06/4/20)

 「ソ連崩壊による混乱の縮図」。住み込み取材中のベラルーシ南部のグバレービッチ村から五、六キロ離れたストレニチボ村は、そう呼ばれている。人口は約九百五十人。うち約八割が、旧ソ連各地から移住してきた人々だ。民族紛争や内戦、貧困から逃げてきた。出身国の内訳は、十三共和国に及ぶ。

 事故前、村には約三千人が暮らしていた。放射能汚染で避難を勧告された地域ではないが、より安全な地域をめざす村民や、都会に流出する若者が相次ぎ、人口が激減した。集団農場も、慢性的な労働力不足だ。

 ▽母国では内戦

 アルメニア人のイマル・オガニシャン(42)は一九九三年、グルジアからやって来た。母国では独立後、民族紛争で激しい内戦が勃発(ぼっぱつ)。少数民族のアルメニア人は、仕事がもらえなかった、と振り返る。長男と二男を連れての逃避行だった。「妻とは生き別れ」と言葉を濁したが、離婚したのかもしれない。

 ベラルーシに入国したばかりのころは、別の街にいた。汚染地域には職があると聞き、移り住んだ。貨物トラックの運転手の職を得て、数年前に家も建てた。息子たちは独立し、いまは気ままな一人暮らしだという。

 イマルの友人で、近くに住むウクライナ人のトラクター運転手のウラジミール・ダルモグライ(41)は、ラトビア人の妻リリア(38)と九九年に移住してきた。ウクライナでは、チェルノブイリ原発の廃材処理の仕事をしていた。一足早くベラルーシに移住した同級生から「いい暮らしができる」と誘われたのが、きっかけだった。

 イマルは潜水艦の乗組員だった。ソ連崩壊時、ロシア軍に所属していた関係で、ウクライナ国籍はないという。「ベラルーシに入国して七年になる。もうすぐ国籍をもらえる」。淡々と話す。

 イマルを交え、ダルモグライ夫妻の家で、お茶を飲んだ。「ベラルーシでは、国籍や民族で差別された経験はない」。みんな、そう言い切る。

 歴史的経緯からロシアへの対抗心を燃やすウクライナとは違い、ベラルーシは民族意識が薄いと言われている。「自立心がないと、ロシアにのみ込まれる」と危惧(きぐ)するベラルーシ人にも会ったが、偏狭なナショナリズムよりも、ずっと健全な感じを受けた。

 ▽労働者に厚遇

 放射線の影響に不安はないのか、聞いてみた。イマルは、母国の内戦の悲惨さを振り返り、「銃や争いの方がずっと怖い。ここでは、いま何も問題が起きていないだろう」と言う。

 そんなやりとりを聞いていたウラジミールも、「全然大丈夫。目に見えないし、触れないものを心配してもしょうがないだろう」と言い放った。妻リリアにも問いかけようとしたが、それ以上、質問ができなくなった。

 汚染地域では、教師や医師などインテリ層の流出が相次いだ。農業部門の人材不足は、いまなお深刻だ。国は、多額の予算を注ぎ込み、労働者に厚遇を保証している。

 しかし、ロシアからの安い石油・ガス頼みといわれる経済下で、そんなばらまき政策がいつまで続けられるのか。安住の地を求め、汚染地域に移り住んだ人たちに、破たんの日が来ないよう願うだけだ。<敬称略>(滝川裕樹、写真も)

【写真説明】戦火を逃れ、ベラルーシに安住の地を求めたグルジア出身のイマル(右)とダルモグライ夫妻


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