住み込み取材をしているグバレービッチ村から五、六キロ離れたストレニチボ村。チェルノブイリ原発事故による放射能汚染が深刻なベラルーシ南部にある。政府は、こうした汚染地域の復興を重要課題に掲げ、多額の予算を注ぎ込んでいる。
汚染地域の移住者には手厚い支援がある。例えば、半ば国営の集団農場の給料―。ストレニチボ村での集団農場の平均賃金は、日本円で四万円程度。国内の平均賃金約三万円よりかなり割高だ。
▽移住で成功も
集団農場の事務所で働くオリガ・チェルコフ(22)に出会った。八年前、カザフスタンの寒村から一家で移住してきた。いまは長男(3)と二人で暮らす。夫とは数年前に離婚した。
国から提供されたオリガのアパートを訪ねた。台所や居間、寝室、子ども部屋のどれもが広く、きれいだ。それでも家賃は月千円余り。職業資格がないので給料は月約八千円と低いものの、幼児を抱えた汚染地の母子家庭は、国から月一万円余りが支給される。元夫からも養育費として月約一万円を受け取る。ほかにも手当があり、「生活は苦しくない」という。
同じ集団農場で農業機械の整備士として働くカリモフ・セルゲイ(25)は二〇〇四年九月、ウズベキスタンからやって来た。母国には独裁的な大統領が君臨し、大学を出ても職はなかった。
「早く結婚したい。相手を探すのはわけないさ」と笑う。イスラム教徒だが、禁じられている豚肉を食べ、お祈りもしないらしい。
安住の地を求めて、他国から大勢が移り住むベラルーシ。復興事業の波に乗り、成功した移住者もいる。レボン・エギアザロフ(36)は七年前、建設会社を設立した。移住者向けアパートの建設ラッシュなどが追い風になり、会社は成長した。
十三年前、グルジアから単身入国した。父と靴工場を経営していたが、内戦で荒廃する母国に見切りを付けた。建設現場に職を得ると必死で働いた。「放射能のことは気にしないよ。この国は安定しているのがいい」
▽故郷気掛かり
ある夜、この地区の中心的な街であるホイニキの自宅へ夕食に招待された。白い壁のしゃれた二階建ての家は周囲に比べ、異彩を放っていた。ベラルーシ人の妻アクサナ(39)、妻の両親、二人の息子らと暮らす。居間の窓越しに庭が広がり、その奥には野菜のビニールハウスが見える。
レボンは外国から取り寄せた衛星放送の機器で母国のテレビ番組を熱心に見ていた。「グルジアは米国の介入で自由化したなどと言っているが、失業者があふれて大変だ。母の年金は月三千五百円に満たない。自由化より生活の保障が重要だよ」。成功した今も、故郷が気になって仕方がない。
さんざん酒をごちそうになった後、上着のポケットに放射線測定器があるのを思い出した。家の前で測ったら広島の数値より低かったことを教えた。ほろ酔いのレボンは上機嫌になり、家中を測るように促した。
何げなく出窓に置かれた野菜のプランターに測定器をかざすと、一時間当たり〇・七マイクロシーベルトまで上がった。広島の約九倍だ。言うべきかどうか、顔が引きつる。背後から尋ねてくるので、意を決して「やや高いですね」と答えた。
「ああ、いろんな場所から持ってきた土を混ぜ合わせているからね」。笑顔は消えていた。座の空気は白けた。
暮らしの中に存在する放射能汚染の影。グバレービッチ村に帰る車中、ホイニキの街明かりを遠く眺めながら、複雑な気持ちになった。<敬称略>(滝川裕樹、写真も)
【写真説明】移住先のベラルーシで成功し、しゃれた邸宅に暮らすエギアザロフ夫妻
|