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2002/07/26
馬山市の申相申さん(62)が、隣に座る妻の斗南さん(58)を見や る。「離婚されるかもしれないと思うと、言えなかった」。妻は
「今考えてみたら、だまされて結婚したようなものよ」と冗談交じ りに切り返す。申さんは五歳で広島で原爆に遭った。三十歳のお見合いの席で、 その事実は伏せていた。「被爆者への結婚差別を恐れた。言い出す のには相当の勇気がないと…」 ▼体重は40キロ超えず 広島に生まれた。職を求め祖国を離れた両親と、打越町(西区) に暮らしていた。井戸の前で光線を感じ、しばらく記憶がない。姉 二人は亡くなり、残った家族四人で韓国に戻ったという。 日本語しか話せなかった。「日本の回し者」といじめられ、学校 に行くのがつらかった。 体の弱さも心配だった。やけどのあとはかゆくてたまらない。消 化が悪く、度々腹を下した。父も弟もがっちりとした体格なのに、 いくら食べても四十キロを超えなかった。歯は次々に抜け、三十歳を 待たずして総入れ歯になった。 被爆したことは医者にも言い出せなかった。 「原爆投下が日本からの独立を早めた」。韓国ではしばしばそう 言われる。広島などに比べて被爆者が少ない分、「子どもに遺伝す る」などと勝手な憶測が独り歩きした時期もあった。被爆体験を隠 す人が多かった。 結婚後、申さんは時計の修理工として働き、四人の子どもを育て た。依然、体調は思わしくなかった。下痢、消化不良、低血圧…。 四十歳のころが最悪の状態だった。 実は、妻さんは結婚の数年後、義父から「広島で原爆に遭っ た」と聞いたことがある。だが、後障害も知らされていないため、 深くは考えてこなかった。原因不明のまま悪くなるばかりの夫を見 るうち、「広島」が気になり始めた。 ▼4月に手帳を申請 ある日。「広島にいたと聞いたことがあるけど」と切り出した。 申さんは「もうこれ以上隠せない」と思い告白した。 「病院に行っても原因は分からないし、被爆の影響だと思う」 妻の目から涙がこぼれた。感情が抑え切れなかった。 「なんで早く話してくれなかったの」 今年四月。数年前に知った被爆者健康手帳の交付を広島市に申請 した。最初は気乗りしなかったが、身体を気遣う妻が強く勧めた。 二人の証人も見つかっている。手帳が出れば、日本で治療の道も開 ける。「日本には原爆症の専門医がいる。精密検査を受けてみた い」 体調は今も一進一退が続き、気分は晴れない。調子が悪くなると 原爆が頭に浮かぶ。他国の核開発の話を聞いても、ふさいでしま う。だれにも相談できず、悶々とした日々を思い出す。 「戦争と原爆で人生は変わった。それが自分の運命だと思って慰 めるんです」。口元を引き締め、自分に言い聞かせている。 |
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