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2002/07/20
「すっかり良くなって帰って来るからね」五月末、サンフランシスコ空港の国際線出発ターミナル。郊外の ダブリンに住む米中泰枝さん(60)は何度も何度も、見送りに来た二 人の息子を抱きしめた。 ▼腹痛など不調続き 「悪いところは全部治し、この子たちにこれ以上、迷惑をかけな いようにしたい」。広島県医師会などが隔年で実施している被爆者 健康診断の結果、広島での里帰り治療に招かれた。 南段原町(現広島市南区)の自宅で被爆した。三歳だったから、 後で母に聞いたことしか分からない。けれど、不調続きの身体が、 原爆の恐ろしさを教えてくれる。 腹痛や割れるような頭痛に、しばしば悩まされるという。 一九六八年、岩国で知り合った米国人と結婚し、渡米した。幸せ な生活もつかの間、夫の酒癖に悩まされた。離婚したのは二十年近 く前。 もともと丈夫ではなかった。悲鳴を上げる身体をなだめながら、 清掃作業員やベビーシッターなどで頑張ってきた。 ▼4年前に心臓手術 四年前、米国で心臓弁膜症の大手術をした。医学用語はさっぱり 分からず、不安だった。日本に帰りたかったが、「準備に時間がか かる」と言われ、悪化するのは待てなかった。 手術費は、離婚の慰謝料を充てた。家賃の安い公営住宅に引っ越 して、不足分を補った。入居に必要な米国籍を取った。 ジミーさん(32)とバービーさん(31)の二人の息子は、米中さんの 宝物。それぞれ独立しているが「会社を休んでドクターに連れてい ってくれる。英語が不得意な私の通訳をしてくれるの」。顔がほこ ろぶ。 「絶対元気になります。時間はかかっても、もう一度、幸せな生 活を送りたいんです。今まで心配かけた分、息子たちにも幸せにな ってほしい」 二人を振り返り、手を振り、また振り返り、日本への旅路につい た。 ▼日本とのパイプ役 在米の被爆者たちは、長旅を強いる渡日治療への不満もあるが、 期待も大きい。長年、西海岸を訪れてくれる日本からの健診団は治 療は伴わないものの、感謝の気持ちも強い。 「体調が許せば、死ぬ前に一度でいい、日本のお医者さんに全身 くまなく調べてもらいたい。それだけで安心できるはず」と話すの は、ロサンゼルス南百五十キロのサンディエゴに住む女性(83)。結 婚した米兵に先立たれ、「生活に苦しむ姿を日本の親類に知られた くない」。名前は明かさない。 関節症や肝機能障害があるが、通院をがまんしていると言うロス 郊外のガーデナに暮らす女性(70)も「健診団が来ると『ああ、日本 に見捨てられてないんだ』と思える。日本とのパイプのようであり がたい」。 ただ、被爆者たちはよわいを重ねた。二年に一度、サンフランシ スコやロス市内である健診会場に行くのも困難になりつつある。そ して古里日本は、さらに遠い。 |
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